転瞬人将老

今年は梅が豊作で5/27現在でまだ青梅だが、風や雨で落ちてしまった傷モノはジャムにしている。落ちないものは少し色付いた段階で梅干し用に収穫する。梅農家は収穫用に地上1mほどのところにネットを張るか、収穫用の奴隷を導入するわけだが、生る年もあれば生らない年もあるから、いちいちそんな対応はできない。樹齢50年を越える古木だが、70年くらいは実が生るそうで、オレより長生きしそうだな。

梅2023

直径4cmを越えるほどに育った梅の実は屋内に持ち込んだ途端、空気が色付くかのように甘酸っぱい芳香を放つ。水に一晩漬けた梅はヘタを竹串等で落として塩漬けか、水煮。青梅の実の種や果肉には若干の青酸化合物が含まれるので、ジャムの場合は茹でる際に灰汁を茹でこぼすか丁寧にすくう。グズグズになったら水気を切って、種を抜き、白葡萄酒、砂糖を加え鍋で焦がさぬよう丁寧に煮込む。冷えると固まるので多少緩くてもよい。粗熱を取ったら消毒した瓶に流し込んでレモンがあればちょいと絞ってしばし冷蔵。大量の砂糖が防腐剤代わりなので今風のちょい甘にするとカビが生える。

最終的に10kgほどの収穫となって、3.5kgを梅干し、残りをジャムに。パン好きだからジャムは選り取り見取り100種ほど取り揃えている上に大量の梅ジャムが出来てしまった。冷凍保存も可能だが、来年以降再び豊作ならば方策を考えねばならんな。

梅収穫

モノを直接生産しているわけではないが、モノを作る道筋を考案・調整することが生業だから、モノの価格が上がることはそれに付随するすべてのコスト上昇が容認されるから率直に喜ばしい事態である。インフレ万歳! だけどもう10年早く来てほしかった。もう稼ぐ体力がないわ。後継者がいない前時代産業なのに、更にコンプラ・DXとお上が締め付けるものだから、嫌気が差した有能者から脱落と遁走が進み、残るは目が開いているだけのボンクラばかりで、あまりの質の低下にあっちもこっちも目を覆いたくなる惨状を呈しているな(笑)。テクノロジィを軽視し続けてきたツケを否応なしに払うときだ。もう後戻りはできない。直接生産者もここぞとばかりに暴利を貪りたいところだが、こっちも人を蔑ろにしてきたツケが祟り、募ったところで集まるのはヨボヨボ高齢者と使えない派遣くずれとこそ泥外国人バイトしかおらん。脚元がガラガラと音を立てて崩れ始め、機械化以外に未来はもうない。いやー、すっきりだね。

モノの価格が上がり過ぎると購買層が限定されるから階層による棲み分けも進み、場違いやら分相応が浸透すればそれはそれで快適でいっそうすっきり。値上げに対する異様なまでの忌避感と恥知らずな被害者意識を振りかざすマス相手の小売は悪評が立つと一気に拡大するから、そっぽを向かれないよう策を弄せねばならないが、ウチは営業行為ゼロの変則型BtoBだからまったく関係ないわ(笑)。

今年は3年おきの法定講習が2件あるのだが、どちらも自宅で動画視聴可、試験はZoomによる監視付きで自宅受験可と一気に遠隔化が進んだ。価格は会場講習より1000円安くなるだけだが、試験の時間が予め決められているだけで5時間分の講義の受講は1週間前からいつでも可となって、こりゃいいわ。中断もできるし鼻歌も歌えるし酒も飲める(笑)。動画の視聴はきっちり時間分必要(倍速不可)だが、他のことは出来るしな。もっともコロコロ法律が変わるから内容に追いついていくのも大変で、老体に鞭打ちつつ必死に勉強してて笑う。一体いつまで勉強するんだよ? もう疲れたぞ。

講義の動画はパワポで作った図表とタイトルくらいで、中身は予め送られてくるテキストを読んでねというパターン。この動画を解説するのが大学のセンセや審査機関のオッサンばかりでモゴモゴ滑舌悪くて聞き取りにくい。もうチョット見目麗しいネエチャンにできないのか? 絶対受講者増えるぞ?

試験はWebカメラで顔チェックされながらで、こっちからは何も見えないが、向こうからは背景も丸見え(のはず)なのがチョットなんだな。身嗜みも見える範囲は配慮しなくちゃいかんしなぁ。受験者の本人確認は受講申込の際に送った顔写真と見比べておこなうのだろう。カメラテストで写った自分を見ていると老けた爺以外の何物でもなくて、マジで嫌になるこの頃でした。

葱味噌奴

摘み7題

葱味噌奴

葱の青い部分をスライスして刻んだ生姜と胡麻油で炒め、しんなりしてきたら弱火に落としフンドーキンの無添加麦味噌を加え、三河三州味醂と純米酒で伸ばしながらじっくりと木べらを動かしながら炙る。ポツポツ跳ねだしたら味見をして更に甘みが欲しければザラメを加える。粗熱を取れば葱味噌。豆腐屋で買った素晴らしい木綿豆腐に包丁を入れ、水をよく切って盛り付け、三つ葉、茗荷、鰹節等をまぶし、葱味噌を置く。葱と下ろし生姜を薬味にして醤油を振って食う一般的な冷奴も嫌いじゃないが、醤油を使わないほうが水っぽくならないから豆腐本来の旨味は際立つかな。

ラッキョウ甘酢漬け

基本毎年6月に鳥取産のラッキョウを購入し、甘酢漬けと塩漬けを拵えている。時期が早いのは鹿児島産、福井産も使うが出来上がりのパリパリ感は鳥取産が勝る。塩漬けは翌年中に食べ切るが、甘酢漬けは3年物くらいまである。色合いが濃くなって、柔らかみと旨味が増すが、パリパリ・シャキシャキと甲乙はつけがたい。日本風のカレーライスを食べることも殆どないので、酒悦の福神漬と一緒に付け合せというよりは酒の摘みにしている。

ラッキョウ甘酢漬け

水キムチ

Amazonで買ってる粉状スティック、水キムチの素を水に溶き、大根、胡瓜、セルリの葉等を適当に刻んでポイポイ放り込んで、赤唐辛子をちょっと追加して一晩冷蔵庫に置くだけ。元々は冷麺用に作り始めたのだが、最近は冷麺だけでは消費が追いつかないので摘み代わりにしている。スーパーで売っているパック入りの甘ったるい人工キムチよりもよっぽどキムチに近い(笑)。

水キムチ

ホタルイカ黒漬け

レトルト・パウチを開けるだけ。魚津の蒲鉾屋:河内屋の黒作り。醤油漬けが沖漬けで烏賊墨漬けが黒作りでしょうか? 濃厚な味なので酒の摘みだけでなく、白飯のオカズとしても十分行けるわ。割烹や高級居酒屋などで小鉢にチョロっと出てきそうな誂え。白エビのみならず、ホタルイカもすっかり物流システムが確立され、珍しいものではなくなってしまったものだが、毎年初夏になると食べたくなるものの一つ。

ホタルイカ黒漬け

ホヤ酢の胡瓜和え

カッペ部落では全く需要がないので生のアカホヤを入手するのも年々難しくなって、安直に手を出す瓶詰め。北海道のカネヨシ水産の三升漬というもので、近在だと角上魚類のみの扱いでコレまた非常に入手性が良くない。いろいろ添加物で味はそこそこだが外にないから仕方がない。その辺の高級鮨屋なんぞでホヤ酢を頼んでも、使われているのは大抵コレ。自分でホヤ捌いてる店はホント減ったよなぁ。摘みとしは刻んだ胡瓜に載せるだけなので手間はまったくかからん。アレンジも胡麻擦ったり青紫蘇刻むくらい。夏のホヤで冷酒、冬のナマコで燗酒が旨い。至福の王道。酒盗やら氷頭やら海鼠腸やらキリはないが。

赤ホヤ酢

ニラ玉試作の前試作

ニラ蟹玉

翡翠麺にしようか迷ったが、暑くて気力がないので普通のニラ玉。使い道がない紅ズワイのほぐし身の缶詰をパコッっと丸ごと加え、カニラ玉にしたが赤くならなくてパッとしない。味はなかなかヨロシイ。色味の改善にタラバの脚を使うのは次回にして(解凍するの面倒臭いわ)定番のカニカマを調達した。カニカマは彩り用にあると便利かと思って買ってみたが、塩味がかなり濃いから使い方が難しいな。

ニラ蟹玉+

蒲鉾

ホタルイカの黒作りと同じ河内屋の蒲鉾。毎年小田原御三家(今残るは二家か)も芸がなかろうと九州、瀬戸内や周防・長門、北陸富山と趣向を凝らした蒲鉾に浮気していて、偶々見つけたのがこちら。写真とは違う鮨蒲というのが大阪寿司のような精巧さときらびやかな配色で感銘を受けた。赤いのは赤巻きという縁起物、白いのは刻み昆布入り。

蒲鉾原型

New3K「変わらない・変わりたくない・決断できない」

invoice実施直前となって、相変わらずinvoiceは止めろ、フリーランスはみんな反対している、個人事業主や零細企業を殺す気か、アニメと声優をいじめるなの大合唱。それをまた体制側の高給取りのビジネス左翼が煽り倒すもんだから勘違いしちゃうのか(笑)。ニッポンをトリモロスと唱えてきた畳の上では死ねなかった老害を目を潤ませながらヤンヤの大喝采で熱烈に支持してきたのに不思議な掌返しである。課税業者に成ったところで小売や飲食等簡易課税で思いっ切り優遇されている業種はたくさんあるのに、今まで得ていた既得権は絶対手放さないという醜悪なまでの後ろ向きの決意と粘着は、どんなに邪険にされても組織にしがみつく雇われ人を彷彿とさせる。カレラが振り回す「損をするのは末代の恥」みたいな性向を本来発揮すべき方向に向けるだけで、未来は自ずと開けてくるように思うのだが(笑)。

でもカレラの主張は「客から預かった消費税を今まで通り納税せずにポケットに入れたい」と同義だから、合法とはいえソコを克服しないと社会的な共感は得られないでしょ(笑)。生活が苦しいって本来自分のものでない預かり公金を掠めないと暮らせないって、それは事業として成立していないだけなんだから、さっさと畳んで雇われ人として生きたほうがよいのではないだろうか? 不思議である。

元々、消費税の導入時にセットで必須だったinvoiceを、支持基盤の離反を避けるために売上3000万以下ならガメていいよと懐柔した責任は追求されるべきだが、これからさらに税率を上げていく過程で、不公平感を際立たせる益税は社会的に容認されるべきではないのは自明だろう。申告すらしないでヤフオクやメルカリで売り捌いてる転売屋や主婦、副業を赤字にして給与所得を損益通算してる自称賢者、税金を払うという概念がそもそもないuber配達や個人風俗、パパ活や反社が慌てふためいたところで、同情の余地はビタ一文ない。すべての課税業者はこぞってありったけの冷ややかな目で高みの見物を決め込んでいる。オレも8月末に呆気にとられる額の消費税を一括納税したばかりだからな(笑)。

もう一点、カレラが受け入れがたいのが身バレ(笑)だそうで。適格請求書発行事業者の登録番号を貰うには税務署に届出が必要で、その届出内容は国税庁のデータベースに登録され、登録番号がインチキでないかを確認できるように登録番号から逆引きができることになる。当たり前ですね(笑)。法人ならば登記上の会社名と住所が表示されるし、個人事業主なら屋号ないしは個人名と住所が表示される。事業をやる以上、自らの名前と住所と連絡先ぐらい公表するのがまっとうな事業者だと思うし、名前も住所も連絡先も不透明な相手じゃ怖くて取引できないのが普通だろう。開業届も出さずに課税されたくない、おおっぴらにできないものを売買したい、転売屋、故買屋や押し売り、押し買いに押しかけ居直り買い取り、薬物に健康食品、マルチやインチキ宗教、果てはアングラ、風俗、エロ、から反社に至るまで、烏合の衆を隠れ蓑にして小賢しく立ち回ってきた連中が白日の下に晒されるのは清々しいものだ。

もちろん、身バレが生活に支障を来す本当の有名人なら同業者でagencyを組んだり、管理会社を入れているわけで、何を今更、何ら支障はないよね。

受難の時代-生卵の呪い

昨今、ネットニュースなどを眺めていても果てしなく下手くそな漫画絵と、恐らく基礎的な日本語が使えないWebライターの誤字だらけのコピペ記事(コタツ記事)、枠取りも画角も凡そ常識すら欠けている素人カメラマンの写真ばかりで、ドコモかしこもドシロート、ワンタップいくらだから取り敢えずタップさせる刺激的な絵と文字があれば、中身はどうでもいいというのは深く理解する。水は低きに流れるの典型。そしてちょっとスクロールするだけで必ず目に入るラーメンやカレー、海鮮丼やポテサラの画像、載せてる方はおいしそうでしょ? と思っているのだろうが古老にとってはウザいだけ。中でも最も恐怖を煽るのが、味がボケようが水っぽくなろうがお構いなしに、調和もバランスもへったくれもなく何にでも生卵を載せるとOKでグッドでオシャレな風潮なわけで、堪え難きを堪え、もはや不快を通り越しておぞましいレベル。原価10~20円ほどで色味とお得感をupして100円ほど上乗せできるという供給側の都合はわからなくもないが、料理人としてあまりにも安直にして幼稚すぎないか? 単なる調理放棄だろ。料理ができない不器用男女の普段飯かよ? 黄身の風味とコクは素材の風味を殺し、白身のズロズロの水っぽさは食感の切れ味を尽く殺す。さらに気持ち悪いのは落とした卵を箸先で崩しながら食べることが「美味しい」という価値の強制が蔓延して、映像や画像でさんざん見せつけられること。オレにとってはただのグロ画像なのに。

もちろん、すきやきを呑水に落した溶き卵に漬けて食うなんていうのも有り得ない所業である。すきやきは大阪の会席料理屋で美人の仲居さんにモノを知らない東夷のいけ好かないオカマ土人と小馬鹿にされながら焼いてもらうのがいちばん愉しくて旨いが、最初に焼くいちばん上等な肉を何故生卵如きでぬるく冷まして、味をボカして食わねばならないのか? さっぱり理解できない。明治の昔、すき焼きを食べ始めた頃の卵は贅沢品の象徴だったのかもしれないが、今や卵は安価で手っ取り早いタンパク質の代表だ。生卵を使うと味わいがまろやかになるらしいが、だったら最初から素材の味を際立たせず、クセを殺し、塩分や辛味を抑え、ブドウ糖果糖液でも加えて乳幼児でも食える味付けにすればよいだろう。

日本史上、普通の一般人が生卵を憚りなく食えるようになったのは明治以降であり、戦後一年中卵をポコポコ産む産卵鶏が導入されて以降、昭和の中頃までは養鶏場でケイジにポコポコ転がってくる産みたて卵を買うことができたことを憶えている。しかし、サルモネラ菌中毒が頻発したのだろう。今は次亜塩素酸ナトリウムで殺菌洗浄され汚染殻を厳しい検査で弾くから生で食える卵が流通しているだけで、生で食わない国ではそんな無駄なコストを掛けていないだけ(殻付き生卵を輸入させない非関税障壁の一種)。生卵は日本でしか食えない自慢はただただ滑稽でしかない。

でも、卵を好きな人が90%を超え、一人当たり平均で300個/年を消費しているという驚くべき統計事実を目の当たりにすると、カッペ老人の思惑など取るに足らない無駄な抵抗にすぎないことは理解している。インスタの見映えの足しになる安価な黄色としての役割、最近は黄色じゃ飽き足らなくて黄色をより濃色に寄せたアスタキサンチン配合の赤卵全盛に至っては、些末なお得感の演出には欠かせないアイテムとして確立されたということなのだろう。

納豆には生の黄身のみ使う、ポーチド・エッグは白身が固まり、黄身がトロっとする程度に熱が入ればOK、パスタ・アッラ・カルボナーラに黄身+全卵は使うが固まらない程度に火は通す、出て来ちゃった温泉卵は塩を振ってそれ単独なら食べる(敢えてオーダーはしないし、何か他の食べ物、特に飯に載せるのは論外)、他に人がいればあげる。スクランブルド・エッグはやや生が残る程度(チーズや生クリームで固めない)が好きだが、玉子綴じは白身が透明なのは不可、蓋付き丼で綴じ加減を調整できる場合を除き、コレは非常に怒り心頭なので生の白身は器を傾けて流して捨てるし、その店に行くことは二度とない。特にアレルギーはないし、コレステロール値は全て正常。ただ高齢かっぺ老害だから食に関しては頑迷保守原理主義者なので、生卵ボットン野郎は白飯に味噌汁掛けて食う、ラーメンの残り汁に飯入れて食う、何でも丼にしないと気がすまないマンと変わらない行為かつ種族と認定している。食文化の違いは生き方の違いだからな。縁がなかったとバッサリ切り捨ててしまうのがよい。いや、まぁ、社会的には少数派としてオレが切り捨てられているのだろうが、ちっとも構わんよ(笑)。

普段飯4題

豚背肉生姜焼き

豚生姜焼き

豚ローススライス肉は酒を振り薄力粉で揉んで常温に戻す。生姜は下ろすかミジン切り。付け合せの野菜の準備が出来たら、玉葱櫛切りを胡麻油で炒めしんなりしたら一旦取り出す。再度パンに胡麻油を引いて肉を両面炒め、白胡椒。味醂、酒、生姜(甘めが好きならザラメなど)を加え、水分が飛んだら玉葱を戻して醤油少々。肉は200g/一人前くらい。つまらなすぎて外で食べた記憶は20年以上前。この先も、まぁ、ないだろう。

とんかつ

良い背肉があれば250g/一人前程度にカットしてとんかつにするのが王道でしょう。とんかつの醍醐味はやはり肉厚(揚げた後で一切れ幅1cmx高さ2cmぐらい)だと思うので250g~300gは譲れない線です。鮭や鰤など焼き魚にも言えることだが、身が薄いと焼き・揚げ工程で中心まで火が通り過ぎることがマズくなる最大の原因。でも、それ用に売っているものは買い易くコストを下げるために薄切りにせざるを得ないわけで、まともなものを食いたかったら塊を買って自分で捌くしかない。嫌な世の中になったもんだ。

とんかつ250g

ひじき飯

ヒジキと牛蒡と人参ちょっと。酒醤油味醂で炊き込む。山椒の葉を散らし、紅生姜でも添えればそれなりに見映えはするが、海藻やら根菜なんて所詮は老人食の典型。

ひじき飯

メンチかつ

最近のパック入りの牛豚合い挽き肉はコスト下げようと脂身ばっかり混ぜるもんだから、そのまま炒めると脂の中に肉の粒が浮いてる状態になって愕然とするものだ。酷すぎ(笑)。高価な粗挽きの牛挽肉と比較してはいけないのだろうが、どこまでマズくすれば気が済むんだろう。というわけで麻婆豆腐やミートパイ、ラグーなど肉の食感と旨味を必要とする料理には使う気がしない。ということで試作してみたのがメンチにしてミンチでミンスド・ミート・コートレット。ハンバーガー用のハンバーグはときどき作るが、ハンバーグは滅多に食べないのにメンチはときどき食べたくなる。郷愁だろう。肉屋の店頭で、オッチャンに緑の油紙に包んで貰ったアレだ。コロッケ同様、貧しかった昭和の庶民の食いものだよなぁ。

メンチカツ

肉だけだと固くなりそうだから余っていたキャベツと玉葱・パセリミジン切りでふかす。容積ぱっと見で肉7:野菜3くらい。塩を振って水気を絞る。全て混ぜたら岩塩、胡椒、ナツメッグ、乾燥タイムちょっとで練る。脂多いからすぐ滑らかになるんだが、手指の温度でネチャネチャ。一回冷やさないと衣付けられん。酷すぎ。薄力粉→卵→パン粉はいつもの手順。揚げ油を加熱して、掌から滑らすように油に落とす。途中で上下反転して4分ほどか。浮き始めたら油から上げて後は余熱で。パン粉は普通の細目。外ではバリバリの生パン粉を使いゴツゴツした鎧のような衣を纏わせる店が多いが、アレ、油の吸い込み凄くない? 若い人やグルメ・ライターには受けるのだろう。肉に脂分が多いからそれなりにしっとり、柔らかく揚がる。そのままで味見。ちょっと物足りないぐらいが丁度よい。レモンを絞って辛子を添えてとんかつソースかウースターソースもいける。

飯は冷凍グリーンピースと冷凍コーンの在庫処分で炊き込み飯。とうもろこしは丸一本はともかくとして、缶詰や冷凍のバラ粒はどうも飼料を想起させるので普段使わない材料の一つなので、いつ買ったのか記憶にないものが冷凍庫に眠っている。秋田産ササニシキ一等米3合は7分づきで精米し普通に研いで顆粒の鶏ガラスープの素を酒で溶いたものを加え、普通の水加減。グリーンピースとコーンをドバっと入れて、塩5g。炊き込みモードで炊飯。グリーンピースは一旦完全解凍、粒コーンは凍ったまま適当に手で砕いて使っている。

GPCご飯

汁物は味噌汁。出汁はアゴや煮干しから取るのが原則だが、疲れてきたので最近はヤスマル(塩辛い)やホシサン(無塩)の極みだし等の既製出汁小袋も利用している。具はスーパーの豆腐と志摩産の1000円/50gクラスの乾燥アオサ。昔は青海苔と呼んでいたもの。安っいヤキソバに振るのはアオコで、あれは種類が別モノ。鹿児島産と交互に買っているが、極めて圧倒的な磯の香りに感激する。アオサは適量を水で戻し椀に入れ、そこに熱い味噌汁を注ぐ。煮込むと変色するし香りが飛ぶ(それでも偽物とは全然違うが)。

海藻って老人食だよね。老いると味がわかる。子供の頃、真冬になると海苔を採ってこいと長靴履いてザル持って近くの海に行かされて、流れてくる海苔を掬ってバケツに貯めるのだが、海苔は満ちる潮に乗って流れてくるから、調子に乗って採りまくっているとあっという間に靴内に浸水して足が凍える。ときどきホンダワラやテングサなども流れてきて、引っ張り上げて持って帰ると喜ばれた。絶滅したはずのアサクサノリも細々と生き延びていたようだが、海水温の上昇でやっぱり風前の灯か。

現代のヴェルレーヌを騙ったNewYork Pankのトム・ヴァーレイン(Tom Verlaine:本名はMiller)が死んじまった。磯崎新も死んじまった。晩年は版画作家だったのか。知らなかった。オレも完全リタイアしたらどこか海辺の在に滞在して、早暁の波打ち際を歩きながら角の取れたすべすべの石やエナメルを塗ったように輝く貝殻を集めたり、ハスノカシパンや流れ着く海藻を拾い、四季折々の潮と風を浴びながら朽ちていきたいと考えている。それまで、病院で死ななくていい体力と精神力を保てるだろうか?

小松菜スープ

ムラ役場に入っていた食堂業者は予想通り試す前(2022/12末)に遁走。6年ほどだがよく堪えたのう。こりゃ後釜は当分決まらんだろうと考えていたら、近くの時折通っていた日式中国料理店が5/末閉店で7月から役場内で営業だってさ(笑)。レジのお姉ちゃんが教えてくれた。マジすか? 思い切ったなぁ。常連客の役人に勧誘されたんだろうが、日本の公務員文化を甘く見ちゃいけないぞ? 確かにお客は役場(と病院)の人間ばかりだったけど、彼等は役場の中にない、上司や部下がいない店で、尚且つちょいと高めの価格で下層民にはちょっと入り辛い、昼前や13時すぎでも世間の人目を気にせず安心して食える店だから繁盛していたと思うんだが。役場内食堂だと価格を抑えないと特定市民に寄り添う貧困ビジネス政党が発狂するし、呼び付けた中国ネエチャンにスマホでオーダーしてねっ! て言われたら火病起こす老害が来るぞ? 手広くやってるこの筋のプロ業者が逃げ出した跡だ。敢えて、火中の栗を拾うようなことにならねばよいのだが。まぁ、近くのとんかつ屋の女将が言うには、元の店舗兼住宅を建て替えする間の間借り話もあるらしいが、そっちが本筋か。

これと逆のケイスが「バス運転手が高速のSA休憩でカレーにクレーム」事案だね。毎度お馴染みNetのポリコレ野郎が建前振りかざして発狂してたが、そもそも人は平等ではないし、社会は公平ではないし、人には個人の力では抗し難い身分があることは厳然たる事実だ。その上で、お金を貰ってサービスを提供する側とサービスを買ってる側は立場が違うわけで、構造的には資本主義社会の原則である金の流れの上流が貴で下流が賤であることは自明である。金を貰う側が威張ってたら生きていけないことぐらい中学生になれば理解できるだろう? 更に建前上、「職業には貴賤なし」(本来は職業が原則世襲だった江戸時代に、就く職業はピンキリでも、携わる人に貴賤はないという意味)とはいうものの、社会には厳然たるヒエラルキーがあって、身を切る変革が起きない程度に多くの人は(ポリコレちゃんほど)その格差を信仰しているはずだ。派遣やパートが社員食堂使わせろ・同一労働同一賃金を唱えても一緒に旗を振る奴はいないだろ?(笑)。

昭和の時代は当たり前だった運転手控室や従業員食堂といったサービス側の施設が外注化やコストカット、自己責任化で軒並み消失し、行き場をなくした黒子や分を弁えることを学べなかった裏方が表に出ざるを得ないという現象はこの先も様々な悲喜劇を生んでいくのだろう。御用聞きが顔を出す勝手口はAmazonのAIオススメに取って代わったが、業務用車の完全自動運転コストが運転手の人件費を下回るにはあらゆる抵抗を排除せねばならないから、もう少し時間が掛かるだろう。病院などは今でも医療従事者の福利・厚生施設と患者・一般人のレストランや休憩施設は厳然と区別されているが、それは業務に支障をきたすからという意味で文句を言う人はいない。

元々極端な建前社会だからポリコレは極めて親和性が高い理念だろうし、一見匿名に思えるSNSが隆盛なのは面と向かってモノ(本音)を言えない人間でこの世は満ち溢れているからだろう? かつては自ら身の程を識って弁えるという「節度」という概念が大人としての素養の一つであったわけだが、今は率先して声を大にして配慮や施しを要求するのが当たり前だし、自らに備わった基礎的な権利だと認識しているとしか思えない人ばかりになってしまったな(笑)。かつて、行為や良心に基づいて相手を慮ることを配慮といったものだが、今は弱者を装う強者が他者に対して要求するツールになっていて浅ましくも興味深い。順番を譲れ、道を譲れ、負担金額を少なくしろ、状態や状況を進んで察知して手伝え、助力しろ、いい思いをさせろ、他人が得をするのは許せん、私は悪くない、私は被害者! 私は弱者! もっと敬え。よおし! オレも便乗するぞ(笑)。

春~夏の田舎鰻

要するに『孤独のグルメ』が不快なのは庶民=マスB層にすり寄る「オレが美味けりゃ何だっていいんだよ」的な汚い食い方と、他人が食ってるものを全部食いたくなる精神疾患的な人物造形にあって、隣に運ばれてきた食いものを見て追加注文するあたりで限界。単に制作側が狙っているのか、彼ら自身の価値観なのかは知らないが、食い尽くすことに喜びを感じる感覚はただただ気持ち悪いとしか思えない。以上は、アマプラでSeason10が見れるようになっていたので頭の3話を流し見した感想。少し前にこの世には食い尽くし系という人種がいるのを初めて知ったのだが、経験的にそういった事例を見たことがなかったから、いい歳した大人がそんなことをするのかと正直驚いた。生物としての飢えは血糖値が一定以下になると発現するが、食うことで血糖値が上がれば満腹中枢が飲食を止めるというヒトに備わった基本的な機能が壊れているのか、教育的に矯正されなかったのかどちらかだろう。

鰻IS

日本橋本店の老舗の支店。以前から何度か来ている店だが、1年ぶりくらいか、2割ほど上がったな。2時すぎ。着物姿のお姉ちゃんに案内されて4人掛けのテーブル席へ。居心地は大変よろしい。2席離れて同類ぼっち爺、離れた向かいに老夫婦、その奥に中年カップルで3割位の入り。空いている。鰻一尾の鰻重にウザクと刺身、茶碗蒸し、小鉢、フルーツ付きの御膳と肝焼き、瓶ビール、酒を所望。

15分ほどで肝串、串の手元側半分に山椒を振る。食い終わる頃にその他一式がどどんと。刺身は鮃と鮪。うざくに箸を付けながら鰻重の蓋を開ける。3.5pが1尾分。小骨が若干目立つが、まぁ、完成された老舗の味だね。タレは薄目で上品で角が取れたもの。卓上に追加のタレや山椒が置かれているが必要性は感じない。

鰻OTN

以前からあることは知っていた老舗。昭和40年代後半に開発されたニュータウンの私鉄駅から徒歩10分もかからない距離だが、凡そ繁華街には程遠く、若干交通量があるニュータウンのメインストリートに面してはいるものの、完全に住宅街のお店。なかなか機会がなかったが、すぐ近くの仕事先に今年後半にかけて5、6回ほどは行くことになろうその初訪。11:30過ぎ。店前の駐車場は3台分しかなくダメかもと期待薄で寄ってみたら1台のみ留まっていたので即決。車を降りると炭焼鰻の香ばしい薫りが流れてきた。

ちょいと大仰な造りの屋根が重そうな木造2階建て。入口の自動ドアをくぐるとすぐ左手が焼場になっていて職人2名。親子かな? 炭焼の鰻から煙が立ち上る昔ながらの光景。分厚い天然木の4人掛けテーブル席が6卓ほど。客はぼっち爺さん1名と婆さん2名のみ。ホールは着物姿のオバちゃん3名と家族経営かな? とても丁寧な物腰で奥へ案内される。奥は座敷に椅子テーブルという最近ありがちな敬老モードでまぁ、確かに楽なんだよな、オレも。お好きな席へどうぞと言われたので4人掛けの席でくつろぐ。酒は飲めないがノンアルという気分でもなかったのでお茶を貰う。鰻1.5尾の特上で4270円税込。住宅街の店らしく鰻以外にも天麩羅、揚物があった。

鰻1.5尾を使った鰻重の価格は、カッペ地帯では3500円~5500円ほどで、ココは中堅クラスかね。鰻は厚めの3.5pくらいか。飯の上に縦3枚。皮目のパリ感が残る程よい焼き加減で、サラサラの薄甘ダレによく合う。小骨もよく抜いている。飯も箸で食える炊き加減とタレ加減で上品な味わい。山椒は全く不要。肝吸いとお新香付き。酢の物や焼き鳥等気になったが、酒が飲めれば色々摘みもあるんだが今日は諦め。一度は電車で来よう。客は老人ばかりで静かで淡々とした時間が流れている。客の入りを見ながら捌いているのだろう、店内客分の配膳が終わると捌いた鰻の串打ちを始めた。

カツ丼、天丼の次は鰻か。昨今、宇奈ととの牙城だった領域に背伸びしたい下層や落ちぶれた中間層を目当てにしたコンサル・バックのフランチャイズ鰻屋が南関東1都3県で大量増殖中。破竹の勢いだな。世間が絶賛する分には棲み分けが進んで喜ばしいが、悪貨が良貨を駆逐する事態になるのは痛し痒しで困るんだよな。捌いて白焼きまでを大陸で行い、冷凍品を輸入して店内で解凍+蒸しまで仕込んで、注文が入るとタレ焼きを行うというパターン。活けの設備と捌きと焼きの職人不要で、バイトでもなんとかなるという見切りがプロ・コンサルだよね。串打ち不要のIHヒーターで両面を同時に焼いていると思われる均一な焼き加減で調理時間も長くても10分ほどに抑えられるから昼時メインの客回転に大きく寄与する。活け鰻を使わなければ商社の冷凍倉庫に寝ている白焼を使えるから仕入価格も抑えられるし数量も安定して確保できる。それっぽい名前の店を立ち上げて、最後のタレ焼きだけでも店頭でちょっと炭火で炙る振りをすれば、雰囲気だけスーパーやすき家の鰻よりはマシに見えるあたりを狙っているのだろう。提灯専門のNetメディアやSNS・口コミを使い回す、さり気なくも押しが強い(要するに分かり易い)広告手法も今風で抜け目がない。コスパとタイパに群がる大都会人様で大行列間違いなし。

もう一つ。安価な唐揚げの次はやっぱり安価で消費が低迷する青魚、二匹目の鯖なる鯵に目を付けたアジフライか? 昨今のアジフライ押しも胡散臭すぎてちょっと鼻につくな。釣り鯵の黄金アジ(東京湾産の根付き鯵のブランド名?(笑))まで引っ張り出して、目の玉飛び出そうな価格のアジフライを売りつける。もちろん、衣はバリバリ粗目のロースト自家製生パン粉。いっそうの鮮度が要求される鮨屋の釣り鯵だって一貫せいぜい4~500円だというのに。ましてやパン粉までついた冷凍と鮮魚のフライの差がどれだけの人に分かるのだろう? 黄金アジ(キアジ:内湾根付型、外洋回遊型はクロアジ)なんて刺し身で食うならまだしも、フライにして区別つくのか? コクだの旨味だの、広告代理店の宣伝文句を垂れ流すのはいつものパターン。

面白いのは、かつては一尾を背開きにしたものが当たり前だったが、今はメディア目立ちする店ほど、ど素人が捌いたような3枚下ろしのフィレで、これ酷いよな(笑)。鯵って初めて包丁握って魚を捌くときの練習台にする魚だから、普段捌いてる人は分かるよな。今どき丸の鮮魚を仕入れて自分で捌いてる飲食店がどれほどあるのか知らんが、ただでさえ下魚だから真っ当な板前が捌く魚じゃないだろうし、機械か不器用な東南アジアの奴隷にやらせてないか?(魚を背開きや腹開きにする作業は東アジア人(日本人と中国人)にしか出来ない芸当)。有り触れた魚だが一般受けする需要があるわけでもなし、大きな市場じゃない限り毎日入荷するものでもないし、漁期は決まっているし漁に出れない/出ない日だってあるのに、鮮度抜群の衣付き冷凍鯵フィレが大都会津々浦々に流通する不思議(笑)。こんなクズみたいなブームで粗製濫造されて廃棄されていく鯵さんが可哀想。

マカロニサラダ

割烹と西洋料理と蕎麦

さて。あー、このところ自らの高齢時代遅れ老害化がいっそう進み、巷を賑わせるグルメ記事や写真を見ても全く惹かれないというか、むしろバカバカしく愚劣で不快感すら感ずるコトが増え、そろそろ潮時でしょうか。高齢者特有の頑迷と不遜、典型的な老害化ですね(笑)。思考と志向と嗜好の乖離はもはや如何ともし難くて、かといってケチを付けるのもこき下ろすのも本意にあらず、オレはオレ、世間は世間でいいんだけど、食える外食がどんどん狭まって、食いたいと思う外食も減っていくのは寂しいものだ。

過疎辺境。駅裏の古い住宅街にポツンと1軒のみ目立たぬように埋没している割烹料理店。かつては近くの役場の接待や神社の参拝客で賑わっていたのだろう。昼メニューは4000円以上1000円刻みのお任せのみなので、その日は6000円コースで。統一地方選開票日の翌日だったせいか、格子戸を開けると奥のほうが賑やか。そちらとは逆方向の襖で仕切れる座敷に案内される。まぁ、テーブル席のほうが楽なんだが、いちばん上等な席だと変えろとは言い難い。小煩そうな老害爺と思われないようになるべくファニィな言葉遣いとファンキィな装いを心掛けているのだが、誤解を受けることが多く実はひっそりと悩んでいる。

脱いだ上着は衣紋掛けに。部屋の調度や床に飾られた花器と軸を眺める。う~ん、アメジストの摂理とは……、昭和の昔は置物として流行っていたな。春だというのに妙に暑苦しい日なのでまずはビールから。程なく女将のご挨拶とともに前菜というか先付けが登場。30x20cmほどの仕切り器に色とりどりの惣菜が百花繚乱。大きな頭付き殻付き尾付き車海老がど~ん。酒が進みすぎて記憶が曖昧になるが、刺し身4種盛り、定番の身がそっくり返った鮎の塩焼きを蓼酢で、煮物、焼物、旬の鰹握り、蕎麦、デザートと続き腹膨れた。お茶の差し替えを貰って一息つくが、腹が膨れすぎて立ち上がれない。

洋食店はともかくとして、過疎辺境に西洋料理店は厳しいせいか店が殆どない。レストラン/リストランテ・グレードは壊滅的だがビストロ/トラットリアが細々という実情だろう。洋食でない西洋料理となると、フランス料理かイタリア料理に限られる。メニューを眺めると前菜やメインを選べる店も多いが、何故かお好きなパスタという選択肢があって萎える。高級や本格を謳う店ですらコースにパスタが組み込まれているのがわからん。おかしいだろ? 前菜でちょろっとオマケに出るならまだしも、肉や魚といったメインと同時・同格の扱い(皿の大きさ)やメインの一部を省いてまで出されると心底がっかりするから、だんだん足が遠のいてしまうんだね。さすがにピッツァを混ぜてくるようなところは少ないが、パスタといってもロングパスタ=麺ばかりで、ラザンニャやグラタンが選べることは極めて稀な事例になってしまう。提供する側からすればいちいち面倒臭いし、そのほうが儲かるからに尽きるんだろうが、それでいいのか? ラーメン男とパスタ女って食文化を破壊してるよな(笑)。

街道筋の田舎蕎麦

茶屋と名乗っているが、メインは蕎麦を出す和食店で刺し身や天麩羅も質が良い。かなりの老舗で、バイクや車に乗り出した頃には田舎の古い街道沿いにちょっと豪壮な日本家屋が垣間見えていた。かつては近くの田舎役場の接待用の料亭だったと思われるが、今は座敷の規模を絞って板の間にテーブルを並べている。ガラス越しに見える日本庭園では池に錦鯉が泳ぎ秋は紅葉の風情が楽しめるのだろう。

ランチは見た目と量のバランスが程良い3000円ほどのセット御膳が中心。高齢者、女性向けでちょっと物足りない。色々迷ったが海老と牡蠣のフライを中心にした蕎麦御膳を選ぶ。揚物は海老、ヒレカツ、牡蠣から2種を選べる。先客1組だが蕎麦茶を嗜みながら庭を眺める。思ったより時間がかかった思ったより大きな海老フライは、よくある海老のミンチをくっつけて整形した冷凍エビフライでなくちゃんとした一本物で、海老の質、衣、揚げ加減共に、ホゥと言葉が出るくらいの出来で感心した。ボタンエビ特有のゴリッとした歯応えのある身の旨味が際立つ揚げ加減。大振りの牡蠣フライは3個。こちらも中心が80°1分みたいな程よい揚げ加減で、衣も極薄で極めて上品な味わい。刺し身や小鉢も良く考えた組み合わせで素材が被らない。在り来りの器数を増やすだけでない料理人のセンスが光る。注文品が揃う頃には50席ほどの店内満席。

蕎麦はシンプルな蒸籠で薬味は山葵と葱のみ。細身で強いコシと仄かな香り。量は蕎麦ものメニューの半量か。つゆはキリッと甘みの少ないつゆ。蕎麦に手を付けると出てくる蕎麦湯はすっきり目の加粉していないもの。次は天麩羅ともう少し摘み物も頼んでみよう。12時半に席を立ったが、入口脇に店内待ち客が目立つ程度の繁盛ぶり。

牛串

いい具合にサシが入ったA5黒毛和牛塊500gを一口大に切り分け、玉葱、ピーマン、オクラ、残り物のチビ椎茸で竹串に刺して無水グリルで焼くだけ。肉は刺す前にブラジル産ハーブ岩塩、インド産黒胡椒を振り、野菜類は焼鳥のタレ(やきとり作ったときの残り)に潜らせている。IHグリルは熱源が上下にあるから串をひっくり返す手間がなく、薄っすら焦げが付くと自動的に止るのでお手軽。入れ放しにしている余熱で焦げる。

牛串

昭和から連綿と続く三種の神器が「カレー・ラーメン・ハンバーグ」なら、平成以降の泣く子も黙る新三種の神器は「焼肉・餃子・から揚げ」かね? まぁ、卵や玉子焼きも人気なようだが、勝手に国民食などと名乗られても迷惑この上ない。どれも家で作るのは嫌だし、だからといってわざわざ出掛けてまで外食するようなクイモノなのだろうか? どれもオリジナルは輸入品だが、そのドメスティック化の仕方は相当疑問だし、ついていけない。おまけに酒が旨くなるような摘みにもならんし、結果として自分にとっては食事を誘ったり誘われたりしなくなった最大の理由だったりもする(笑)。

新三種の神器もどれも家庭料理の領域から外れつつあるのも興味深いな。焼肉はスーパーで切り盛りされたパックを買ってくるものだし、餃子を種から作る家なんてもうないし、から揚げに至っては家で揚げ物しないんだから買ってくるしかないだろう。実際、どれもインスタントやレトルト・パウチ製、冷凍食品で代用可能だし、手を変え品を変え膨大な加工食品が開発されて隆盛を極めている。家庭料理が単なる節約の手段に堕ちてしまい、おいしいものを食べたければ外食と加工食品に頼らざるを得ないという個人のスキルダウンと培われた貧しい環境は津々浦々に浸透しつつあるな。「住」と「衣」を手放した次は「食」の番であることは必然の道だろうが、なんとも侘しいものだと思うことが既に時代遅れの老害の妄言なのだろう。アヒャ。

江戸時代に成立した御三家「鮨・天麩羅・蕎麦切り」は外食でしか味わえない下層ファストフードであって庶民が自分で作る飯ではなかった。仕入れや素材の加工、下拵えに手間が掛かるし、一定以上の慣れと技量が必要になる。天麩羅に至っては火災防止のため幕府から禁止令が出ていたほどだから、広場の屋台でしか提供できなかったとも聞く。実際には火事を出した屋台営業を禁止したら家でコソコソ揚げる奴が増え、ボヤや火事がかえって増えたので、水辺の屋台のみ営業できるように変遷があったらしい。一方、かつての自宅飯の主流だった三点セット「白飯・味噌汁・漬物」に「魚の干物・芋の煮っころがし・豆腐」をときおり組み合わせた和食は、白飯嫌いの激増と、既に味噌常備してる家なんて無いし、漬物は作れないし買って食うほど売れてるものじゃない。魚を捌く、開いて干すなんて以ての外の論外だし、肉じゃがや豚汁だって0から作る家庭はもう希少な部類でしょ? 他人が握ったオニギリは食えないからコンビニや外食店で食うものになっていて、しょぼい場末のオバちゃん食堂だったぼんごが今や長蛇の列でまったく入れないって、最早狂ってるとしか思えん。電車乗ってオニギリ食いに来るのかよ(笑)。今は似たような店がいくらでもあるんだから地元で食えよ。オレは昭和の末期老害だからオニギリ買って食うこと自体有りえんという価値基準が根底にあって、酒肴でない一汁三菜や誰もが作れたはずの〇〇定食を外で食うことにすら未だに抵抗がある。何という時代遅れ。

ハヤシライス

牛串で残ったバラ肉塊の脂身と筋を牛脂代わりにしようと思い立つ。常温に戻した牛薄切り肉500gに塩胡椒、薄力粉を振り、赤葡萄酒で揉んでおく。小麦粉とバターを炒め、色が付いてきたら串切りの玉葱、大蒜、月桂樹の葉、牛肉を加え塩胡椒、肉に火が通ったらフォン・ド・ボー、トマト缶、赤葡萄酒、半割にしたマシュルームで蓋をして弱火で30分煮込み。塩胡椒で味を調整して出来上がり。カレーライスはすっかり食べなくなったが、ハヤシライスはときどき食べたくなる。

ハヤシライス2023

プレミアム食事券の期限切れ間近(5月末の話)となり、あちこちを外食して回ったが値上げがどーたらの一方で、高めの店ほど、どこも恐ろしく景気が良いな(笑)。平日だというに鮨屋も天麩羅屋も鰻屋も割烹も、蕎麦屋(御三家ブランド系だけど)までが開店前から行列してて呆気にとられたわ。まぁ、行列とはいっても並ぶのは年配者だけだから、用意された店前の椅子に座ってれば店員が人数とカウンターかテーブルか聞きに来るわけで、大して待つわけでもなく案内されるんだけどさ。

8割方は年金生活者。BBAは数人のグループ、爺ちゃんに連れられた薹の立った娘、老夫婦、最若で40くらいのあんちゃんか。家で作ってもらえないのか金が有り余っているのか知らんが、ボッチ老たちも小綺麗で上品な身なりで横柄な口も利かず穏やかで大人しい。間違っても日高屋やすき家には棲息しないタイプ。カウンターに座るなり何の臆面もなく酒頼んでるし、メニューなんぞお構いなし(カウンター席にメニューや価格表はない)に好きなものをポンポン頼んでいく。食いたいものや好みを伝えるとそれに合わせて作ってくれるし、適切なお薦めを提案してくれる。歳食えば自分の胃袋の容量はわかっているから先に食いたいものから食わないとな。そして一食で食える量の価格なんてタカが知れていることも自ずと理解するものだ。店の客あしらいも実にこなれたもので、盃が空になるとすかさずグイグイと次を勧めてくる。正義と配慮要求を振りかざしたポリコレねえちゃんやコンプラ野郎が蔓延してるこのご時世に、昼前11時に飄々と酒勧めてくる店があって、それなりに繁盛してるってのもちょっと新鮮だよね(笑)。

結局、巷やネットというのは7割を占めるB層という烏合の衆が欲するリソースであって、ラーメンだ、焼肉だ、カレーだって、から揚げ、餃子から町中華? ポテサラや海鮮丼、ぶっかけ素麺やパスタにまで崩した卵の黄身が流れる様に無上の喜びを感じる、ちょっと背伸びをすれば手が届く、ワンコイン(500円玉のこと?)からせいぜい一食1500円くらいまでの、あるいはちょっと意識高い系狙いの1500~3000円くらいのインスタ映えコースを推してくるのだな。広告代理店の提灯グルメ記事は煽り文句と写真で広告収入に直結するワン・タップを誘ってくるが、まずライターの無教養が隠しきれない頭悪そうな文字列、これ見よがしな卵の黄身と親から常識を教わっていない、凡そ日本人とは思えないメチャクチャな配膳写真、小さく表示されているソース提供元表示で弾くと何も残らないのが昨今の状況。タレント紛いの料理研究家や著名料理人? のコタツ記事も読むに値する情報はない。

羊串

肩肉ブロック1.5kgくらいを適宜切り分け、塩胡椒をぐいぐい擦り込む。クミン、シナモン、下ろした大蒜・生姜、ヨーグルトに漬け込み冷蔵3~4日。肉だけを串刺しにするとケバブになるが、伝統に従い玉葱やピーマン等を挟みコストダウンを図る。焼きは牛串と同じ。串は刺す前にしばらく水に漬けておくと焼失しない。

羊串

タダでも要らない

何でこんなところに? という商売としては有り得ない場所に唐突に出現する冷凍餃子や冷凍肉の自販機に無人販売所。裏を返せば毎度お馴染み中小企業庁の事業再構築補助金に群がるシロアリさん旨々ですな(笑)。今回は高度な事業計画書が必須だからコンサルを巻き込んで(厳密にはコンサル側の勧誘・推奨/乗せられる側に理解する頭はない)詐欺ロー達の饗宴だな。先払い(もちろんコンサルの融資)が必要だが、事業を起こす経費を国が面倒見るという制度だから、貰うものを貰っちゃった時点で利益は出ている(経費の水増し)から、あとは補助金返せと言われないように最低継続5年間、如何に経費を掛けずにフェイド・アウトするかだね。最初から儲ける必要は全くないし、窃盗被害額より直接人件費(24時間レジで4万/日)の方が遥かに高いから補助金が続く限り無くなることはないだろう?

もっとも、冷凍餃子や冷凍のラーメン、焼肉用の肉、あるいは弁当等の食品を盗んでまで食べたいものなのかどうかは理解に苦しむところで、お金を払ってまで食べたいかは別としても、タダでもいらんよね? と思うところだが、ラーメン焼肉餃子って日本人の三大好物だったのか、なるほど、そりゃ失礼。製造者が開示されている前提で誰が作ったのかわからないのはまだしも、その後自分の手元に来るまでに任意の第3者がなんの規制も制限もなく介在する余地があるものは原則として食べないよなぁ。

以前ゼンショーが強盗を誘発するワンオペとしてメディア総動員で散々叩かれていたが、今のすき家はワンオペであろうとなかろうと、店員すら現金に触れないからボルトでカウンターに固定されたレジをカウンターごと重機で引きずり出さないと(どれだけ入っているかは知らんが)金にはならんな(笑)。吉野家からすき家へ強盗のハシゴをした事件があったが、彼は牛丼食ってる客に一人一人ナイフを突きつけながら差し出したズタ袋に客の財布を入れさせるべきだった(笑)。牛丼屋の客の一人あたりの期待値はどうかと思うが、非番のオマワリや筋肉学生、佐川のあんちゃん、ヤバそうな不動産屋に当たらなければ現金愛好者が多いから意外に狙い目なのかも(笑)。

すき家はタダ働きが増える警察からいい加減にしろと怒られたらしいが、昨今の無人販売は煽り動画(というか煽らせ動画だな)の自称被害者のように胡散臭過ぎ(動画で小銭稼ぎか?)。人件費ゼロで無料広告付ってなんて賢い経営者と自画自賛してるのだろうが、関わりたい人種ではないな(笑)。オマワリも善人面した経営者にポリコレ!コンプラ被害者アピールされりゃ話ぐらいは聞かないといけないから辛いところだろう。コソ泥じゃ被害届はノラリクラリと躱して受け取らんだろうが(笑)。オレだったらバイト雇って、お揃いの作業服着せて2t有蓋車で乗り付けて中身はいらんから冷凍庫を貰っていくかな(笑)。厨房機器ってビックリするほど中古需要が旺盛なのね。業務用冷蔵庫、冷凍庫の4、5台なら電源落として10分もあれば運び出せるよね。積み込み終わったらシャッター閉めて、長い間ご愛顧ありがとうございましたって張り紙しとくわ。

この問題は入店時と決済時の本人認証で多くは解決する事例だが、売上誤魔化せなくなるんじゃ意味ないからこの手の経営者がその方向に走ることはないのだろう。でも、これを機にあらゆる社会的行為に本人認証が必要な機運が醸成されるのは間違いないから悪い話ばかりではない。客を選んだほうが自らの価値を上げられるデパ地下や成城石井、紀ノ国屋、北野エースあたりは誰か早く始めないかな? って様子見してるだろ?

弁当その後

振り返ってみても、小学校低学年の脱脂粉乳とコッペパンの給食はそれまで家で食べていた食事とは似ても似つかぬ質で、とてもじゃないがおいしいとは思えなかった。転居転校後はろくな設備のない新設校で当初給食がなくて弁当を持たされていた記憶があるが、数年後始まった給食は生の食パンにマーガリンとジャムに瓶牛乳(後に三角パック)、バケツに入ったしょぼいオカズを取り分けるというやつで、公立中学も同じ。稀にマーガリンの代わりにチョコやピーナツクリームだったりすると狂喜乱舞していた。給食がない土曜の昼などは喜び勇んで近くの中華屋や蕎麦屋で当時一世を風靡したソース焼きそばとカツ丼(←両方食うの)をよく食っていた。

少し後。当時の場末公立高校は食堂もなく、給食もなく、弁当がなければ食わないか購買でパン買うか、金があれば抜け出して、やっぱりカツ丼やラーメン食っていた。たまに教員と鉢合わせしたりして面倒くせーなと思ったこともあったが、お前ら何食ってんだよ? カツ丼でーす。ふん、オレ上カツ丼ね、とか見栄張ってたな(笑)。親は弁当を作らなくてよいのか? と訊いたが、お互い面倒なのはわかっていたし、学校へは手ぶらで行くことを旨としていたから、荷物になる弁当を持って行くわけにはいかんからいらないと断った。経験的に親の料理がマズイと思ったことはほとんどないから味の問題というよりは食べたいときに食べたいものを食べたいという自由度の問題だった。大学はあちこちのキャンパスにピンキリの食堂があったし自炊もしたが金が無いから食い物に凝った記憶はあまりない。高級品や珍味は研究室の宴会くらいしか食う機会はなかった。人生でいちばん貧しい食生活を送っていたな(笑)。

でも今とは違って口に合わないからといって食わなければ腹が減るだけだし、「嫌なら食うな」が当たり前の時代だ。誰も代わりを充てがってくれるわけではないから、自ずと食えないものも嫌いなものも減っていく。

人並みに社会人になるとその環境は一変した。原則朝抜き、昼夜外食の長時間労働で泊まりから休日出勤まで何でもありのブラックホール産業だったが、仕事さえこなしていれば休憩時間はけっこう適当に取れたし、飯屋や茶店で爆睡してたこともあった。何よりも周囲にひしめく大使館御用達の高級ホテルから選り取り見取りの飯屋、立ち食い蕎麦屋から角打ちまで、和洋中のみならず、ありとあらゆるピンキリの膨大な飲食店がひしめき合っており、ドレスコードでつまみ出されたりはあったが金さえ出せば何でも食えたし、天気が良ければ徒歩で銀座、日比谷、芝大門、六本木、赤坂あたりまで遠征することもあった。霞が関や虎ノ門の官庁や大企業の社食なども今より垣根が低かったから、金がなくなるとよく潜り込んだものだ。時代は丁度バブルに差し掛かり、海外の様々な食い物が怒涛のように輸入され百花繚乱の如く咲き誇った時代だった。今思うにはこの時期の海千山千片っ端から食いまくった体験が食い物に関する自分の感覚の裾野を大きく広げたように思う。

転職先は大阪の会社でバブリィなオーナー社長曰く「鮨と鰻と蕎麦は東京のほうが旨い」と銀座や神楽坂、江戸川橋の行きつけによく連れて行ってくれた。移動は常にタクシー。新幹線は個室かグリーン。忘年会は大阪の料亭、事ある度に何だかんだで豪華なホテルや温泉に宿を取ってくれて贅沢の味と贅沢の作法を教えてくれた。成金臭は控えめで長身のスマートなオジサン。実父は就職した年にあっさり死んじまったから、今思うとこの人から教わったモノの良し悪しや公私の切り分け等々はけっこう身になっている(笑)。当時はおせっかいなオッサンだな……くらいにしか思わなかったが(笑)。大阪の人の割には話し方や振る舞いにとても気を遣う人だったが、弾けかかったバブルの最中で社員は内心先行きを危ぶんでいたが、案の定、リゾート開発で躓いて会社は跳んだ。

母方の祖母が当時は顰蹙を買うほど自炊大嫌い・外食大好きな人で、その娘はモダン系創意工夫の人で親から受け継げなかった料理の技術を本やTVを見て、当時急速に洋食化し始めた聞いたこともない料理やお菓子を一生懸命吸収していたことを憶えている。親父は見栄っ張りな営業職だったから外食はお手の物。家で飯を食うのは朝とゴルフ行かない休日だけ。自分が外で旨いものを食っていたから子供の食い物にも寛容だった。鮨屋のカウンターでトロと穴子を食いまくったのは小学校に上がる前だったし、鮨折りや鰻も会社帰りによく買って来てくれた。どこの鮨屋か知らないが、近所の出前とは比較にならん質には驚いた記憶が残っている(舌が落ちるってヤツ)。出張に行けば全国各地の名品、珍品を土産に持ち帰ったから、餓鬼のくせにフグはちょっと痺れるのが良い……など今なら考えられない世の中だった(笑)。子供の食いもんじゃないとはよく言われたが。大阪のバッテラや甘い桃色デンブの載った海老や穴子寿司(箱寿司の)、九州の水炊きや北海道や東北のカニ、燻製物、高価だった北国や南国の果物にありつけたのもこの頃で、自分たちがひもじい思いをして育ってきたから食い物に関しては特段に寛容だったのだろう。

個人の味覚は親の作る食事(今はコンビニとスーパーの惣菜? と加工食品か(笑))が土台になるが、自分にとっては外食と折詰(手弁当ではない)や土産モノの経験が味覚の幅を大きく広げたと思う。今でも食べたことがないもの(流行りものとゲテモノ除く)に対する好奇心は衰えないし、どこで何食うかのう? と考えて実践するのは愉しいというか、唯一の愉しみになっている。

今はどんな田舎でも街道沿いに飯屋くらいはあるし、地域特性を生かしたメニューも面白いし、初見の鮨屋や鰻屋も色々癖があって愉しいぞ? 店主や職人にいろいろ訊くと教えられることも多い。鮨なんかズッこけるほど安かったり、量が多かったり。客が少ないからすぐに憶えられるというか、仕事先で3回ほど通った小さなレストランなど最初の会計のとき凝ってておいしいって褒めたら次からシェフが挨拶に来るし、海沿いの鄙びた中華屋でちょっと変わった麻婆豆腐があって、料理運んできた店主にこれって水煮牛肉と同じ作り方? って訊いたら、えらく感激されて「この店で水煮牛肉の名を聞くとは思わなかったぁ!」って、オマエの店だろが(笑)。まぁ、普段来る客はパチンコとカラオケとスナックのネエチャンと車と他人の噂話しかしないらしいから気持ちはわからんでもない。

試作1号

試作第一作

自慢にならないが弁当箱は持っていないので20cm角ほどのタッパーで代用した。最初に飯を冷ましてから詰めることぐらいは知っている。普通に炊いた白米で弁当用の工夫は何もしていない。焼いたウインナはハム買ったらオマケでくれたもの、富山の蒲鉾の残り物は炒めた。昆布の佃煮は湯豆腐の出汁にした残滓の羅臼昆布を煮込んで摘みにしているもの、小松菜のお浸し鰹節和え、湯掻いたキャベツと鶏ササミほぐしの和物は煮汁が出そうなので紙カップに入れてみた。別タッパはネーブルオレンジを1個剥いただけ。上掛け調味料が不要なようにすべて塩、醤油、味醂等で味付けは施した。前夜19:00頃の製造で翌昼用だがすっかり忘れていて15:00頃にそういえば弁当があったなと思い付き蓋を開けた。3月中旬だったので屋内常温放置でジュエルの保冷剤を蓋の上に載せておいただけ。

で。特に何もせずそのまま食ったが、飯が冷たくてマズいので途中でレンジアップした。味には視覚的要素も大きく寄与するが、器がコレじゃおいしさも半減だね。比較的保存による劣化が少ないオカズを考えたつもりだが、所詮は在り合わせの域を出ない。昼飯にするには量が少ない。当然、ウインナは脂分が冷えて固まって、B級品がC級に転落済み。見映えも中身も世の中の標準的な弁当とは雲泥の差だが、食べる愉しみを放棄したような餌感と、どうにも拭えない「枠に嵌った小賢しさ」には幻滅しかない。逆に考えれば、食事をする施設がない場所で一定時間留まらねばならない場合、飯にありつける場所に辿り着くために著しい不合理がある場合に弁当の有効性は発揮できるというべきだろう。前者はピクニックだったり花見だったり、後者は主に屋外業務が該当する。残念ながらカッペ村にはピクニックにふさわしい場所はないが、胡瓜とレッドチェダー、燻製紅鮭とクリームチーズのサンドウィッチをバスケットに詰めて、with常温のぬるい黒ビール、或いは竹皮に包んだ握り飯と沢庵や粕漬、ほうじ茶でも水筒に詰めて出かけるなら悪くはないと思う。涼しくなったらやってみよう。

海苔弁

海苔弁といえば安価な弁当の代名詞というか、昭和の中頃、日の丸弁当の絶望に一縷の光が差し込んで一気に広まったような気がする。昔の海苔弁は一面に敷かれた海苔で真っ黒だった。海苔の下にはおかか。子供の頃、給食がないときに親が作ってくれた海苔弁には既にオカズが付いていたが、基本は黒一色に赤い梅干し、黄色い沢庵というシンプルなもの。いつの頃からか沢庵と梅干しの代わりに、昆布の佃煮、金平牛蒡、竹輪の磯辺揚げ、白身魚フライが載せられて定番化した(ホッカホカ亭がオリジナル?)。近在はホカが撤退しHOMOが進出したが、一番人気のコスパ弁当としての地位は揺るがないのだろう。少しでも単価を上げようと、目先を変える様々なヴァリエーションが存在するのは周知の通り。一方、その人気にあやかろうと製造原価の安さに目を付けた中外食産業がこぞって1000円超えの高級海苔弁に参入し、枕詞のごとく装飾された銘柄と産地と手法が飛び交い、買う側の優越感をくすぐる上っ面の高級感を醸し出す。でも売る側の思惑が見え見えで大して旨くないんだよなぁ。金の亡者達が演じる愚劣な饗宴を眺めてる分には愉しいか。

タカが中華そばを蘊蓄だらけのゴテゴテこだわりのラーメンに仕立て上げ、タカが食パンを油脂や乳をコテコテに練り込んで高級食パンに、食事の添え物としてのパンをゴテゴテ飾り付けオカズとお菓子のパンにしてしまう、原理も原則もないオレたちの無節操と裏返しの憧憬或いはコンプレクスは留まるところを知らずに暴走する。

デパ地下の海苔弁

デパ地下内のいくつかのテナントで時々見かけるが、恐らく材料の都合がついたときだけの製造で必ずしも買えるわけではない海苔弁。1000円くらいで出して、夕方には4割引きくらいになっている。メインおかずがイカフライだったり鮭フライだったり。一般的に白身魚のフライはホキやメルルーサと言われているが、値が張るマダラや真カレイを使ったものもあるね。一方、メディアとタイアップして派手にぶち上げた海苔弁専門店は立ち止まる人もなく閑古鳥が鳴いているが、素材の産地がドータラに拘りのナンチャラという呪文はB層にしか効かんだろ(笑)。

デパ地下海苔弁

HOMOのノーマル海苔弁・特海苔タル・全部のせ

仕様変更のたび微妙に量が減っているノーマル海苔弁も今や税込380円。いよいよ次は400円の大台載せか。もっともコンビニの誰も棚の前に立っていないスカスカ子供オニギリが180円や200円を軽く越え、下手すりゃ300円に迫る勢いを考えれば割安だよなぁ。オカズは揚げたてだし、飯は温かいし。相変わらずの濃い味ジャンクだが、ときおりそのコテコテの下手物感には無性に惹きつけられる。かつての、緑色の油紙に包まれた肉屋のコロッケやメンチ、アジフライの現代版だな。

から揚げの天才海苔弁タルタル、エビフライ付

駅前なのに昼時ですら人っ子一人客がいない(笑)。暇そうな従業員2名。周辺に大学があるが学生はもっと安い自前の食堂で食うだろう。一方住宅皆無、ほぼ企業のみの業務地帯だから大口注文や業務需要で稼いでいるのかね? 大量注文のバックレと、複数アカウントによるクーポン二重取りは許さん! とあって笑った。でも、酷評することで自らのステイタスとアイデンティティを粉飾する貧乏人のチマチマ注文より同じ弁当100個のほうが儲かるわな。モバイルオーダーアプリで領収証の依頼もできるからウチも経費にできて助かるわ。税抜き100円だったから揚げは味付けが7、8種類に増えて個当り税込み150円と大幅値上げ。10個入りのファミリィパックが1480円だとHOMOのチキンバスケットの倍額とは大胆な改革だね。御飯の量も小盛り、普通盛り、大盛りどれでも同額って大胆に平準化を進めている模様。

天才海苔弁

弁当も最安はかろうじて300円台をキープするも手を変え品を変えで、とうとう鰻載せ海苔弁まで売りに出すという無節操。鰻はいらんがエビフライは買った。もちろん割安な2本載ったやつ。衣まで付いた成形加工海老の冷凍既製品をグリルで焼いているようだが、なかなかやるじゃないか。もう随分行っていないがインチキ臭い松のやの海老フライより安定してるわ。底辺食として売れるなら何でもやるよという潔さは見習うべき。


2023/09/24 作成__2023/09/24 最終更新