残りの春

過疎の寒村にまだ春は来ないと思ったら、ローソンが来た。ネットのローソンは時折川口水産の冷凍肝吸いを買うのに利用するが、街道沿いに新たに出来たローソンは建物壁面や敷地内の塀のあちこちににデカデカと「敷地内禁煙」と書かれていて笑った。なかなか良い取り組みじゃないか。次からATMはココを利用してやろう。公立の学校や病院は100%敷地内禁煙だが、物販や飲食で敷地内の駐車場を含めて禁煙にしているのは珍しい。不透視フィルム貼ったハイエースや汚ねぇ軽トラ営業車で乗り付けてコンビニ弁当やオニギリ車内で食って、ハンドルに足乗っけて窓開けて煙草プカプカしてる土方や、窓から手を大きく突き出して指に挟んだ煙草の灰と煙をを撒き散らしているドサ回りの営業マンを見なくて済むのは心底清々しいわ。

裸木と花

花粉症が楽になって体質変わった(免疫落ちた)と思っていたのに、3月中ぐらいからが本番だった。4月からはヒノキ花粉の猛攻撃で目が見えん。車がキナコをまぶしたようになっていてゾッとする。花粉症とアトピーは良い金蔓だから誰も真面目に対策しようとしないのが困りもの。

半年ぶりくらいにコメダで味噌カツパン食ったらカツの肉がパンからはみ出るほど大きくなったのはいいとして、これ背肉だろうか? 形も見事に四角だし、ココまで薄く叩くかね? もしかして結着肉になっていないか? 食い千切るまでもなくモロモロ崩れていくんだが。老人受けはいいかもしれんが、脂っこいだけで肉の味がしないぞ(笑)。

朝ごはん

朝ごはん

シリアル食品の代表格になったグラノーラは甘過ぎてお菓子食っているようで萎える。ミュズリ(Müesli)も甘めの味付けがウザいので半量ほど燕麦(オートミール)を加え、クリームチーズ、バター等で味気なさを補完し、オリーブ油、塩、胡椒で味を調える。ポリッジ(スコットランドやアイルランドのPorridge)に近い方向性といえばその通り。

おっさん、稀に和食を作る

a)イワシ買う⇒忘れる⇒捌く(頭と内臓を落とす)⇒忘れる⇒あちゃ。つみれにでもすっか

取り立てて言及するところのない普通のマイワシ。海産物はふるさと納税でお腹いっぱいになるから魚売り場を覗く頻度もすっかり減った。売り場といっても半分以上は解凍品に旨味増強味付け済みの養殖輸入加工品で鮮魚はほぼ用済み。鮮魚買って自分で捌いて食う人は最早絶滅危惧種並みの「変わり者」だと思う。そういう意味では「和食」なんていうものは既に博物館のガラスケースの中で遺物として陳列されるもの。文字通りの無形文化遺産だな。既に実態は無い。「世界に誇る和食文化」って~のが昔あったよねぇと懐かしむレベル。

鰯

「和食」は家庭における継承の断絶というか、家庭そのものが役割を終え、存在意義を失ったというべきか。家庭料理において、出汁を取る、魚を捌く、刺し身を引く、漬物を作る、酢物? 蒸し物? 揚げ物? どれもしないのが普通になりつつある。今はもう一歩進んで、単に作れないから、食べてるものがわからない、食べれない、食べ方がわからないという段階。面倒で食べ慣れないものはもうすぐに「おいしくない」から「食べない」の烙印を押されるに違いない。

それに伴って「和食」のスタイルも崩壊している。日常的な和風家庭料理の配膳(あるいは飲食店の定食類)は飯が左手前、汁椀が右手前、主菜が右奥、副菜は左奥、副々菜が中央奥、香の物は中央手前、箸は箸置きにおいて頭が右、酒は飯の位置で酒が終わったら飯を配膳、魚は頭が左、干物は皮が上……というあたりが室町期に定石化された伝統的作法だと思ったが、この形式が通用するのは実際のところ国内で40%を切る割合でしかないらしいことには驚いた。かつては親に躾けられ、小学校の家庭科あたりで習う基礎的な素養のはずだと思ったが、文科省認可の教科書の内容が地域によって内容が異なるのか、文化先進の地における深い思惟の結果なのかもしれないな、うむ。

多くの例では、「左手前に飯・汁椀が左奥・右手前に主菜」、あるいは「右手前に飯・右奥が汁椀・左に主菜」、あるいは「オカズが手前、飯と汁椀は両方奥」といった配膳形態をとるようで、過疎に暮らす田舎者の理解を超えた世界に誇る和食文化の多様性(「定食 “地名”」で画像検索すると興味深い)には只々平伏すのみであるわ。

つみれ汁

3枚に下ろしたフィレの皮を剥ぎ、生姜と合わせて包丁で粗く刻み叩く。塩と片栗粉を加え、練って団子状に。昆布のだし汁で湯掻いて味噌を落とす。加工食品で売られているツナギと増粘剤で出来たつみれとは見かけも味もとても同じ団子とは思えない。庶民の冬の定番の味もほぼ終了ということで。

b)あん肝

チャイナンキモ

このところなかなか半額にならないので諦めて買った。国産に比べ臭い、味が落ちるとよく言われるが、個人的にはその差がわからん。もしかしたらオレってこの歳までただの一度も国産のあん肝を食べたことがないのかもしれない(笑)。ウチの辺りで売ってるの見たこと無いし。ちなみに、アンコ鍋セットとして身のぶつ切りと肝がちょろっと入って売られているものは加工食品扱いなので、国産あんこう使用と書かれていてもそれは身だけです(笑)。飲食店に関しては言わずもがな(接待で行くような店は知らんよ)。

あん肝片

概ね蒸して、紅葉おろしとポン酢で食うのが一般的。検索すればいろいろあるが、どこまで手を抜けるかは突き詰めているので至極簡便に済ましている。塩を振ってしばらく置いて、目立つ血管から血を抜く、筋は取れれば取るくらいで薄皮は剥かず。酒に30分ほど漬けて水気を切ってアルミホイルで巻く。15分ほど蒸して、冷えたらそのまま冷蔵庫で一晩。当たり外れも個体差も気になったことは一度もない。安上がりな舌に感謝。

整理整頓

思う壺にはまるのも癪に障るのでオートチャージにする以前に使っていたPASMOx2を払い戻し。7年使わないと使えなくなると聞いてPasoriで中見たら最終利用日から4年ほどが経っていた。以前は1枚210円の手数料が掛かると聞いて放置していたわけだが、今は廃止された模様でデポジットを含めて全額戻ってきた。まぁ、当たり前といえば当たり前のことだが、当たり前のことを都合良く捻じ曲げるのが標準なのに珍しいこともあるもんだ。この先使う予定が無いSuicaも2枚発掘したんでこちらも払い戻そうとしたら、中身が220円以上残っていると手数料220円取られるそうで、さぁすがJREと感服した次第であります。

久しぶりに、日高屋

特に用事がない限り、花粉のおかげで外に出られず蟄居の身。歳のせいか誰かと連れ立って出掛けて、飲んだり食べたりするのも面倒で堪らないので、一人でまったり、食べたいものだけを食べたいように食べ、飲みたい酒を飲みたいだけ自由気ままに飲むに限る。自分で作って食うなら丼飯も悪くない。酔っ払ってるから盛付けが杜撰になったりはするが、賄いの王者はカツ丼だなぁ。数日前に作ったヒレカツ2枚載せで。それほど長くはないかもしれない時間を過不足なくきっちり使い切っていきたいものだ。

ヒレカツ丼

まぁ、なんとか徒歩圏に数店。最寄り店の店長が新装開店した別の駅前店も是非よろしくと言っていたが、往復で3800歩程度とちょっと物足りないが、今のところ行くのはいつも最寄り店のみ。15:00以降は特に仕切りもなく名ばかり分煙なので行くのはそれ以前のみ。昼時も団体がウザいから避けている。午前中なら余裕綽々の年金生活者風爺さんがポツンポツン、日差しに目を細めながら静かに飲んでるポヨヨンとした雰囲気が心地良い。月に一、二回程度の利用なのに、開店一番から酒呑んだくれるチケット払いの横柄で気難しい老害ジジイと思われているせいかパートさんは必ず居心地の良いテーブル席に案内してくれるからつい長居してしまう。完全禁煙はもうすぐソコまで迫っているが、後はキャッシュレスだと完璧だね。値上げはつい最近気付いた。310円の生ビールが330円に。酒でもいいんだがツマミがちょっと合わない。その他のメニューも若干価格は上がったみたいだが、ここは高くなると分割してくれるから優待券も増えちゃうし、変な客が多い割に店員の応対も非常にさっぱりしていて、混み過ぎない程度に繁盛してくれるのは良いことだ。

最初は生ビールとニラレバ単品かバクダン単品で、餃子を付けて味玉を付けるときもある。ビールのお代わりでカタヤキソバかピリ辛豚骨ネギラーメンを追加して、もう一杯ビールを行くか帰ろうか悩みつつも、2000円以下で腹一杯になってしまうのは惜しい。味と価格と期待値のバランスを考えると昼食は3500円内外で腹膨れるのが適切かと思う。かといって、小洒落感がすっかりこじれちゃったブッフェやオシャレかふぇは身分違いだし、食べ放題やセルフは願い下げだし、西洋料理も和食も最近はどこで食べてもソコソコだしなぁ。マズいわけじゃなくてもおいしくもなく平凡、底が透けて見えると言うか、使ってる材料から調理人の質やら経営者の思惑まで、「まぁ、こんなもんか」感で満ち溢れちゃって得るものがない。つまらない。

ピリ辛豚骨ネギラーメンは葱一本分くらいの白鬚葱が別盛りで、ちょっと甘辛醤油が掛かって出てくるんだが、白鬚葱はラーメンに載せながら食うんだから醤油は要らんよ。名前はピリ辛だけど辛そうなのは色だけでちっとも辛くはない。旨味は濃いが臭くはない高齢ド素人向けタイプのスープが嬉しい。ネギは深谷あたりの普通の(直径2cmくらい)ネギの白いところ一本分だろうか? 量はかなり満足できる。

いなり寿司

かつてというか昭和の中頃、運動会や行楽時の自家製弁当の定番だった太巻きやいなり寿司をわざわざ自作することも珍しくなったように思う。というか、最早アリエナイに近い所業だわ。惣菜や助六弁当として売っているものを買ったほうが合理的なのは曲げられない事実であることは深く理解するが、そこらの惣菜や回転寿司で売られているものは、子供のオヤツかと思うほど、揚げも甘いし中身も甘い。酢が効いていないどころか甘ったるすぎて二個目に手が出ない。それは取りも直さず、オマエのような底辺老害ジジイは販売対象ではないよと言われているに等しいわけで、それはその通り至極真っ当な見切り方で惚れ惚れしている。

いなり寿司用に味付けされてカットされた油揚げが売られていることは知っているが、既製の味付けが嫌なのにそんなものを買ういわれはない。厚いと使いにくいので5枚で88円等の最下級品を求め、沸騰した水で油抜きした後、2分割、破らないように素手で水分をよく絞り、水、酒、味醂、醤油、微調整で砂糖少々を加えたつゆで煮る。ちょっと甘辛いか? というぐらいが丁度よい。水分がなくなるまで煮込んだら荒熱をとって冷蔵庫で一晩置く。翌日、出来上がり目標3合に対し、塩15g、砂糖7.5gに合わせて120mlになるように酢を加え、よく撹拌して寿司酢を作る。プロは白菊や赤酢の珠玉や山吹を使うことが多いと思いますが、ウチは寿司酢の場合は入手が容易な村山造酢の千鳥酢を使う。塩と砂糖の割合は逆ではなくて、ウチで箱寿司、鯖寿司以外の酢飯に使っている(いなりの場合は砂糖なしでもいい)数字。実際、江戸前鮨だと赤酢と塩だけという店が多いはず。ササニシキ玄米は白米まで磨き、研いで水に晒す。鍋の場合は水少なめ、炊飯器を使う場合は酢飯モードの水量で炊く。炊き上がったら直ちにボウルに移し、合わせ酢半量を混入しシャモジで切るように混ぜ、底をひっくり返したら残り半量の酢を混ぜ込み、団扇で扇ぐ。飯が冷めれば使えるが、ラップをして3時間ほど置いておくと米粒に酢がしっかり回るように思う。ラップより濡れたさらし等のほうが良いのは言うまでもないが、そんなものはどこいったっけ? Susボウルより木製の飯台がよいとは思うが、まぁ、言われるほど変わらんね。

稲荷

後は揚げの袋に酢飯を詰めるだけ。刻んだ生姜や煎った胡麻、干瓢、椎茸煮や蓮根の酢漬けを刻んで加えることもある。5枚入り3袋の揚げで30枚、5枚ほどは破けるので25個程度のいなり寿司が出来上がる。酢飯の酸っぱさが揚げの甘さを引き立てる。その対比が肝なんだろうと思っている。昔ながらのいなり寿司である。


2018/04/14 作成__2018/04/14 最終更新