恵方巻き2016

最初はケイホウカン、笑われたのでエカタマキ、正解はエホウマキだという(日本語の音声情報に接する機会が少ないせいか、字と読みが同時にインプットされないため辞書にない単語は読みがわからん)。基本的に他人から強要されないかぎり、あらゆるイベント事は何もしない人間だし、お守り持ったり縁起担ぎや神頼みもお祈りも滅多にしない(というか、そういう行為も風習も好きじゃない)し、鬼門とか風水も「うちはソーユーのヤんないから……」とガン無視を決め込んでここまで来たんだから今更余計なお世話だわ。もっとも、豆じゃ喜ぶのは雀と鳩と文鳥と目白のつがいだけだし、撒いても金にはならんのはわかるが、原理も原則もプリンシパルも糞食らえ、金になると思えば何でもするし、何でもありの猿真似横並び民族、それがまた建前だけは綺麗事で厚化粧して、心にもない美辞麗句でボッタクルもんだから銭ゲバ中華すらドン引きなのに、皆んなやってるからと横目でチラチラしながら今日も嘘八百を並べ立てるボクタチ。実はこの「恵方巻き」、飯作らなくていいから楽なんだよね。一応寿司だから文句も言われないし、切って並べて、吸い物でも付けてやれば一丁上がり。お手軽だわぁ。

恵方巻きパック

で、SEIYUネスパで試しに買ってみた3本。二口食ったら飽きるだろうし、一本なんてそもそも食い切れるわけがないから最初からカットして皿に盛る。醤油が添付されているのだから味は付いてないんだろうと醤油皿と山葵も用意した。7&i本社と電通+博報堂本社+在京メディア各社の方角を向いて齧ればいいらしいが、そういうのには根本的に興味が無い。おまけに困ったことに、摘んでも旨くも何でもないでやんの(笑)。まず何だ? この飯の量は? 具がみすぼらしすぎで腹膨れちゃうだろが。おまけに、酢飯か? ってほど酢が香らない砂糖御飯だよ。ひで~。具は冷凍と養殖と……、10種の海鮮巻きなのに鮮魚使ってないだろ? 昔風太巻きの七種のナントカもとてもじゃないが縁起を担げるような味じゃないんだな(笑)。

太巻き

東多摩郡(後の豊多摩郡)成宗村の在の医院で生を受け、幼少の頃は太巻きといえば母親自作品がお出掛けや運動会の定番であった。巻きがやたらとキツかったのを憶えている。もっとも、記憶の襞に鮮明に刻みつけられているのは太巻きというよりは、婆ちゃんに手を引かれて省線で二駅先(当時は西荻はない)の公園へのお出掛けの供であり、役場の斜向かいの街道沿いの団子屋で海苔巻き(=干瓢巻き)と稲荷寿司とみたらし団子を竹の折に包んでもらって、酢の匂いをプンプンさせてるから「坊や、お寿司持ってどこ行くんだい?」などと電車内の人に声を掛けられるのが常で、そのときに感じた妙なこそばゆさは今でも鮮明に思い起こすことができる。保存携帯食だった太巻きは、具はデンブないしはオボロ、玉子、干瓢、椎茸、高野豆腐を濃く味付けしたもので、生モノは胡瓜くらいだったし、あくまで庶民がお茶請けに摘むもので高級品は皆無だった気がする。夏場以外は胡瓜の代わりにほうれん草が幅を利かせていた気もする。海苔も今は昔、東京湾の浅草海苔であったのは自明だった。

イオンで金目鯛の恵方巻きというチラシを見て頼もうと思っていたが、いつの間にか期限を過ぎていて食えなかった。2017年は少し手を広げてみようと思っている。


2016/09/24 作成__2016/09/24 最終更新