Bowie死す

生涯に渡って糞真面目に革新を貫き通した孤高の天才の死は素直に悲しい。さっさと消えた方がいいクズばかりがしぶとく生き残るのがこの世の常なんだろうが。

で、例の方は、アンコンできない安藤は袋叩きで放逐。予想通り“ザハ外し”で、まるで何事も無かったかのように一件落着。旨味が全く無いどころか赤字になりそうな「ザハ+日建」を葬って主導権を完全奪還したスーゼネは万々歳。仏の手の平でヤリタイホウダイが実現したね(笑)。高卒下民のくせにやたら海外では評価が高い大阪のオッサンを蹴落としたい余り、業界が長年培ってきた職能をいともあっさり粉砕した妄執おじいちゃんも二人の愛弟子東大門下生(一人は前回コンペの落選者)がお飾り神輿とはいえ御用建築家として脚光を浴びることで面目一新、ダガヤの街と自らのメンツも守り切った。“神輿は軽くてパーがいい”を見事具現化した采配ですな。100均命、安かろう悪かろうにご満悦の“一般国民”の皆さんにとっても、「なんかよくわかんないけど」たいそう喜ばしいことなのでしょう。めでたしめでたし。

安藤が仕切ったおかげで情報が公開されてた前回に比べ、今回はその轍を踏まぬと言わんばかりの時代遅れな隠蔽選定に逆戻り。いやはや。日建を持ってしてもゼネコンがセットできないなんて(笑)凄い国だわ。政官財の見事なタッグマッチにして、Cool Japanですねぇ。あっぱれあっぱれ。現段階では、敢えてザハをオファーした業界ダントツトップ、日建の設計屋としての矜持を、底無しの闇の中で垣間見えた唯一の光明として記憶の隅に留めておこう。
(以上2015/10月ごろ)

the Watcher

(以下2015/年末)
で、採用されたものを眺めれば、ザハ+日建+日本設計+梓+アラップのプランのガワだけ付け替えた完璧なコピペ。ガワが違えばド素人の95%は騙せるだろうが、100人の設計者がいたら100通りのプランができるように、避難動線からスパンや通り芯が完璧に一致するなんてプロが見ればすぐわかっちゃうサイテーの剽窃だわ。トイレの位置くらい変えときゃいいのにな(笑)。国家事業的プロポーザルでここまでのパクリとは、前代未聞の偉業であるが、政官財の威光が通じるのって黄色猿のムラ社会だけだぞ?(笑) 誰も根回ししてないの? 唖然。ザハは大英帝国勲章まで貰ってる「命」より「契約」が大事なブリティッシュ・アーキテクトだぞ? 安藤ですら足元にも及ばない格違い(やぁやぁって握手して一緒に飯食えるのは磯崎くらいだろ)にして、訴訟で得た金をポンポンと慈善事業に全額寄付しちゃう上流階級なんだぞ? 『アンビルトの女王』とこき下ろしたメディアにしろ一般国民にしろ、彼女のWebページ見たことないのか?

まぁ、プラン変えたら防災評定やら構造評定までやり直しで来年末に計画通知を下ろせるわけがない(=着工できない=間に合わない)し、チャンピオン制で当初から決まっていたはずのす~ゼネの既発注部材が使えなくなるという意味で、完璧に腐りきったインチキ出来レースだったことがココでも実証されたわけだ。アンコンされてるメディアは装飾しかできない欲に憑かれた俗物を懸命に擁護していて笑えるわ。一方、当て馬に担がれ二度目の落選を喰らった妄執お爺ちゃん直系のB案作者の落胆ぶりもわからなくもないが、過去の業績をすべて吹き飛ばすグレードの地雷を踏まなくて良かったとも言えるんじゃないか?(笑) そしてやっぱり、オリジナリティ皆無の三流猿真似民族の開き直りが「和風」と「復興」にかこつけた「被災地」木材の使用という錦の御旗かよ(笑)。和風和風って、奈良や平安の宗教建築造ったのは隋や唐から来た外国人技術者だよ? 流石に最早、ウリナラマンセーと同じじゃないか?

元々、江戸期までは中国朝鮮を、以後は西洋を徹底的にパクることで伸し上がって、日々パクり合うことで均質性と同質性を保ち合い、「みんなが求めるものが良いもの」という至高の原理に基づいたムラ社会を築きあげてきたわけだし、「みんなが同じものを求めること」が相互の至福に繋がったわけで、オリジナリティは嫌悪と排斥の対象でしかないのがボクタチの歴史なのだ。モノマネはこの国の社会システムそのものなんだが、でも黄猿にも猿真似や二次創作じゃない事もできたんだ。という数少ない事例を遁世の餞に列挙しておこう。

雅楽は渡来音楽だが、神道の祝詞(ただし表記法(楽譜)がないので、オリジナルが伝わっているとは思えない)は呪術的な出雲的神話世界を内包している。神道自体は教義も教典もない(外来文字の漢字表記である古事記と日本書紀?)という意味で、宗教の体を成していないが、白黒付けずにどうとでも解釈できるご都合主義と曖昧性を好む民族性と相まって、現代においてもイヴェント屋に特化して細々と生き長らえている。
平安後期の和歌も表記のひらがな・カタカナは漢字の二次創作だが、中国詩にはない湿った情緒性は、貴族階級の行き止まりの時代の徒花として可憐に開花した。
ワビサビは禅と茶道を基本コンセプトとした中国と朝鮮からの渡来流行だが、乱世室町期に成立した能楽における「幽玄」や正法眼蔵における「無」の観念・概念は、オリジナルを超える思惟思想として世界に誇れる。
磁器のオリジナルは後漢~三国時代と云われるが、17世紀に半島から拉致されて来た朝鮮人陶工の朝鮮磁器を飛躍的に超えて、唐津・伊万里・有田の繁栄は侮れない。
ミニマリスト芭蕉を頂点とする江戸期の俳句も凝縮された諦観と情緒性、深い思索性は他に例を見ない。
江戸期の春画を含む浮世絵もパースペクティブを放棄した2次元表現の根源は水墨、山水画の影響下にあるが、後のグラフィック・デザインやキュビズムの元祖であり、出版+芸能文化にまで展開された産業デザインとして歴史に特筆されるべきだろう。

明治以降は、……まだ歴史的な評価は定まらないかな。

とまぁ、色々書いてはみたが、正直、あらゆることがどうでもいいし、あらゆる意味で関心もないし関係もない。ターニング・ポイントは幾度かあったが、欲に目が眩んで尽く間違った方向に舵を切った判断力のない権力者と、高卒安藤が憎くて堪らない政官財東大閥によるオールスター豪華共演の恥知らずな猿芝居にもそろそろ飽きが来た。積み上がった負債はアンコンされたメディアに乗せられるだけの次世代の愚民がとことん苦しめばよいだけなので、オレは逃げ切るから(笑)。ご冥福をお祈り申し上げます。


2016/01/18 作成__2016/01/18 最終更新