種蒔き


秋が深まるとともに葉は日毎に小さく、隙間が増え、おそらく今年最後の花になるだろう。根から再生したこぼれ種の香菜は順調に生育。適宜摘んでいるが成長が早く週二程度の収穫には十分に耐えるが、時期が来たので夏前に収穫した種も種蒔き。種は予め一晩水に漬けておく。せっかくだから自前だけでなく、食用として購入したインド産のコリアンダーも加えてみた。どちらも5日ほどで発芽。ちまちました双葉が出揃い、10日ほどで形の違う成葉が出始めた。スーパーで買って来たモノとインド産の区別は今のところ不明。種はインド産のほうが明らかに立派にして香り高い。

最後の花

最近の植物類は再利用できないように発芽抑制処理や、花は咲いても結実しない、結実はしても育たない遺伝子処理(F1生物化)を施されているモノが多いので、生物として継続的に育てることはなかなか難しい部分もあるのだが、幸運なことに今回は上手く回避できた模様。今年は買わなくて済みそうだ。さて、ツタンカーメンのえんどう豆と大蒜をそろそろ植えなくてはな。

香菜発芽

電源換装

ついこの間、1台修理したと思ったら、今度は別の常用最古SHOP機の12Vが出てないらしく基盤に電流が流れない模様。電源LEDが点灯した瞬間、すとんと沈黙する。大方、出力側のコンデンサが膨らんでいるのだろう。帯封されたBOXをこじ開けてコンデンサを交換するほどヒマではないので代替品を探すが、生憎、CPU専用12Vソケットの付いた最近のATX電源の予備がない。壊れた電源からソケットをちょん切って、古いがちゃんと動くATX電源の12Vソケットに結線半田付けすればよいのだろうが、多分買いに行った方が復旧は早い。面倒だが在のせいか、車を5分ほど走らせないと汎用部品を扱う郊外型店舗がない。早速、4470円もはたいて、いちばん安かった中国製400WATX静音電源を購入。1次側コンデンサは日本製であることが売りらしい。300Wでよかったのに売り切れでやんの。忘れずに領収証を貰う。

開けてびっくり玉手箱。なんなの? この表面加工まで施された高級感は? 本体は艶消し黒塗装でケーブル類はすべて黒のカバー付、付属の止め付け用インチ螺子まで黒塗装品だよ。螺子穴もケースとぴったり合うし、板金処理が杜撰で手が切れそうな、かつての創成期大陸製電源ユニットとは雲泥の差。蓋をすればどうせ見えなくなるのに、この異様なまでの細部拘り感覚というかコスト感覚には正直呆れてモノが言えん。コスト比100倍に達する高価なCPUを、どうしたらここまで酷く作れるのかと感心するほどちゃちな中国本土製電源で駆動していた時代はすっかり過去のようだ。あっぱれ、あっぱれ。

徘徊その後#2◇ 江戸前天丼拾藩家 1/2(再建後は?)

「拾藩家」と書いて「じゅうばんや」と読ませるらしい。牛丼やカツ丼も扱う典型的なB級ファストフードの天麩羅チェーンだったが、2009年早春、前を通ると店舗改装の張り紙で店が閉まっており、その後も一向に工事をしている様子はなく、どうやら自己破産した模様。どこかが居抜きで買ったのだろう。先日見たら同じ名前のまま復活していたが、詳しい事情は知らない。小さいながらも駐車場付。復活後は500円天丼類と600円定食がメインとかなり絞った構成で、ありきたりだが天麩羅単品やカツ単品も扱う。缶ビール350mlが250円、酒は1合300円とまぁ、そういうグレードにしてそんなもんか。箸は塗箸。効率化というよりは客への不審をあからさまに表現する食券制でないあたりは好感が持てる。店員が揃いの黒装束で、妙ちきりんな唱和(煩いわけではない)をするあたりは頭の悪いラーメン店を思わせるし、悪趣味な張りぼて外観は子供騙しの忍者屋敷みたい。失笑ものだわ。カウンター15席くらいに、小上りの4人掛け座敷席が10程度。カウンターの真ん中で、一人孤独にドロンと濁った目で酒の肴に天麩羅をつんつくつついているのは私です。

デフォルト看板メニューの拾藩天丼と海老かき揚げ天丼、野菜天丼他を賞味。合わせ味噌のワカメ汁+業務用漬物付。普通の丼類はすべて500円だが飯、天麩羅・精進揚げともにかなり量があるので、セットや大盛りになると苦しい。メニュー写真を見るとあまりのみすぼらしさにいろいろ頼みたくなるが、特に海老かき揚げは直径12cm、厚さが6、7cmはあろうかという特大ボリュームで仰け反った。写真と全然違うじゃん。適度な外観のわりにはちゃんと火が通っていてふ~んといったところ。海老やイカの揚げ加減もこの手の店ではありえない状態でもう一度ふ~ん。一応、江戸前と付く以上、東京湾で獲れた魚介類のみ(野菜は天麩羅にあらず)で構成されるべきだろうが、そんな野暮なことは言わない。実際、調味や調理手法が江戸風であることのほうがよほど味の決め手と成り得る。で、待つこと十数分。揚げ油には胡麻油がそれなりに含まれて、衣はやや褐色を帯び、香ばしくきちんと香る。天つゆは今風の甘めのものだが、粘度が低くくどいというほどではない。時間帯にも依るだろうが、鰹出汁も貧弱で合成臭がするが酷いというほどではない。天麩羅・精進揚げは一旦つゆに浸されて丼に乗せられるという基本的な江戸風天丼の作法は踏襲されている。つゆは若干多めで最後が食いにくいが、液体が丼底に残るほどではない。ちなみに天麩羅・精進揚げに使われる調味料“つゆ”(あるいは汁(しる)。つゆ=露は汁の雅語的表現)とは、蕎麦に使われるものと同じく“鰹出汁”と“返し”を合わせたもの。

天麩羅単品をいくつか頼んで飲んでも1000円あれば腹は膨れる。女子供はどうせ来ないんだから、海老はいらないよ。あとは天つゆの甘味をもうちょい控え、季節モノでいいからメゴチとハゼを置いてくれればいうことないんだがな。隣町の贔屓にしている個人経営天麩羅店も似たような価格構成だから、一概に安いとは思わない。“お好み”や“お任せ”で食う天麩羅がすっかり高級化して、やれ岩塩だの、抹茶だの、薬味やつけ合わせに贅を凝らしたり、サクサク感を異様に強調したサラダ揚げに成り下がったりと、鮨以上に下司な食いモノだったはずのたかが天麩羅風情にお上品で気取った雰囲気を無理矢理醸成し、そこに溶け込むことを強要されるのが面倒ですっかり足が遠くなったが、一方、大衆廉価店といわれた神田の“いもや”(屋号も中身も今はすっかり別モノ)はともかくとして、チェーンの“てんや”あたりが、開き直ってベーキングパウダーで膨らませた虚しさと胸いっぱいのサラダ油以外に印象に残るモノが何もない(掻き揚げもない)新しい味覚の地平を目指す創作天麩羅・天丼を敷衍普及させているのに比べれば、ここは今のところ悪癖に染まらない純粋さを保っている。天麩羅ゆえ、揚げ時間最低12分という客回転が滞りがちになる性格上、コスト的には他の業態に比べかなり不利だと思われるが、鮨・蕎麦・鰻・天麩羅以外の外食に皆目気が乗らない人間にとって、この手の店は貴重なので長生きしてくださいな。

彼岸中日(前編)

子供の頃、病弱だったので内藤新宿の外れに在った大きな病院に頻繁に通っていた。今はすっかり現代的な高層建物になっているが、当時の病院は暗褐色の石やテラコッタを張り巡らした厳つい外観で、子供心を必要以上に暗鬱で厳粛な気分に陥らせたものだ。大病院の薄暗く長い廊下に漂う消毒液と辛気臭い空気には馴染めなかったが、学校にマトモに通えないことには何らデメリットを感じることはなかった。街はそれ以上に魅力的な場所だったから。

西口再開発と都庁やJRE本社の移転に伴って、現在の新宿は都の中心的な位置付けを獲得したように見えるが、一皮剥けば、今も昔もどう足掻いても垢抜けない、キレの悪い鈍重さと安っぽさ、ごった煮の猥雑さ、武蔵野の埃っぽさが色濃く残っている。今でも追分からゴールデン街を北に抜け、昔、三光町と呼んでいた花園神社から厚生年金会館や文化センター辺り、御苑北側の花園町や四谷大木戸にかけては、新宿の原風景ともいえる、庶民の住宅地とごみごみしてくすんだ商業地が不分明に混じり合い、親密さと猥雑さが入り混じった妙に人懐っこい雰囲気が陽の差さない細い路地や古い雑居ビルの谷間にひっそりと隠れ潜んでいる。

江戸の中心からわざわざ街道の宿場町に遷都したのは、華々しい箱モノ開発行政を展開した山形の元内務官僚だが、東京出身の美濃部と青島が都市構造というハード面ではある意味何もしなかった人であるのに対し、規制緩和にかこつけた時代錯誤の重商主義とマフィアまがいのファミリー主義的自己満足を標榜する老害もまた、東京とは何ら関係のない人物であることは興味深くも面白い。結果的に新宿は、「何でも在るが、実は何もない」という実に不思議な、現代の日本を表象するような砂上の楼閣と化し、地元とは縁もゆかりもない人達が日夜、ああでもない、こうでもないと切ったり張ったり、弄くりまわす落ち着きのない街になってしまった。風土としての成熟度がまだまだ足りないということなのだろう。

当時の田舎街新宿は路面電車だった京王や小田急が薄汚い国鉄駅沿いに未来風の新駅を作り、追分にあった伊勢丹や三越に対抗するように、新駅舎の上に京王と小田急の新興デパートができて、垢抜けない闇市と愚連隊の街から郊外へのターミナル駅として急速な変貌を遂げ始めた時代だった。地上の国鉄駅舎は木造だったし、すえた臭いが漂う地下道を抜けてホームに上がると、床の油性ワックスがぷんぷん匂う木製で焦茶色に塗られた電車がブレーキをギーギー軋ませながらホームに入って来た。西口地下タクシープールを掘り始めた頃の赤茶けて埃っぽい光景は今でも鮮明に思い返すことができる。2本の巨大な楕円形の換気塔がフジツボのような異様な姿を現したとき、駒沢公園の池に浮かぶ塔と影が落ちることを拒絶する空中広場以上に、その未来的で生物的なフォルムに特撮モノ的な異様な斬新感と違和感を感じたものだ。南口の陸橋の先には広大な貨物ヤードが広がっていて、上から眺めるとまだ在の面影を色濃く残した西側にはくすんだ色合いのバラック街が大根畑を侵食する菌糸のように広がり、その先には淀橋浄水場の荒涼としたコンクリート塊がのっぺりと横たわり、冬場西風が吹くと特有の臭気が漂ってきた。淀橋はヨドバシとして電器店の名として残ったが、淀橋は高層ビル街に生まれ変わり、跡形もなく消え失せた。

一方、R20陸橋の東側は“行っちゃいけません”地帯であり、人通りの絶えない階段を下りていくと闇市の残骸である掘っ立て小屋が迷路のように軒を並べ、子供の目から見て不思議な、あるいは異様な世界が広がっていた。一般人は脇目も振らずに足早に通り過ぎるのが常であったが、その世界の住人達は世の中という映画を眺める観客のように静謐で濃密な大気の底に沈殿していた。赤銅色に日焼けしてステテコと腹巻き一丁の労務者、匕首を懐に呑んだヤクザ者、一升瓶抱えて道端に転がっているオヤジ、乳飲み子を抱えた目付きの悪い女、けばけばしく彩ったパンパンなどがぞろぞろとたむろして、道行く人をどんよりとした濁った目で眺めていた。

その中で、子供の好奇心を最も鋭く抉ったのは、やはりゲートルを巻いてカーキ色の陸軍軍服姿や白装束に身を包んだ傷痍軍人といわれた人たちだろう。彼らは一様に片手でハーモニカを吹き、足のない身体を粗末な乳母車に載せてアコーディオンを弾いていた。風でふらふら揺れている中身のない袖、微動だにしない穴のような開きっ放しの眼。そんな異形に強烈に惹かれ、怖いもの見たさにふらふらと近寄ってしまう。子供じゃ金にならんから相手は酷く迷惑そうに追い払おうとするが、異質な空気に吸いこまれるように呑まれてしまうと、もう、足が動かない。“見ちゃいけません”と目隠しされて、慌てた親に引き摺るように手を引っ張られたものだ。

当初、恩給を貰えなかった朝鮮人や台湾人の傷痍軍人や軍属もいたらしいが、(遭遇した年代から考えても)大半は別の事故で手足を失った者や純粋な物貰いで、とりわけ偽者が多かったらしく、引き摺られたあとに懇々と諭されたものだ。当時の一般人の意識としては、たとえ本物だったにせよ、威張り腐ってあらゆる不自由を強要し威勢ばかりよかったのに、結果的には民間人にまで膨大な犠牲を強いてコテンパンにのされた旧軍に対する反感は(身内に職業軍人が多くいたにもかかわらず)並々ならぬものがあったようだ。特に、家族や財産を失った非軍人の一般戦争被災者に対してはビタ一文補償が無かったのに、自らの責任にはホッカムリして国から金を貰って生きながらえている連中に対しては極めて冷たい反応があったようだ。

病院の行き帰りには、必ずデパートに寄ったように記憶している。当時のデパートはどこも上のほうに大食堂があって、屋上には遊園があって、金魚、小鳥、熱帯魚から爬虫類といった動植物、植木の売場や、うどんや蕎麦のスナック売店などが所狭しと立ち並び、平日の日中と云えども主として大人で賑わっていた。子供の遊園地化していくのはもう少し後のこと。テナントビルに名前を冠しているだけの不動産賃貸業と、いんちき物産展巡回イベント屋からショバ代掠め取ってるだけの興行師に成り下がった現代とは異なって、百貨店である以上ないものはないという物品販売業としてのプライドが残っていた時代だから、大人の鑑賞にも堪えうる売場作りが成されていたのだろう。もちろん、子供の目には見たこともない昆虫や水槽を泳ぐ宝石のような熱帯魚に釘付けで、大人以上に夢のような世界に映ったものだ。

別世界だったデパートの屋上はその後もしばらく残っていたが、昭和が終わりを告げた頃から急速に色褪せて姿を消していった。うら寂れ、どうしようもない場末感がありありと漂うなかに、馬や兎のコイン遊具が冬の日差しを浴びて打ち捨てられていた。屋上はエロい泥レスショー付のビアガーデンや、子供向け変身ショーの特設会場に転用されていったが、特撮モノのヒーローは珍妙な着ぐるみの紛い物にしか見えなかったし、ヒロインは大根もいいところだった。売れないアイドルはTVや雑誌で見るのとは別人と思えるほど田舎臭く可愛くなかったし、剥き出しの足は凡庸に太かった。おまけに、子供心にも苦笑せざるを得ないほどあまりにも下手糞な歌に、しばしば騙されたような虚しい気分に陥らされたものだ。

◇終(前編)気が向けば続く

◇ ホッキ

調理時間:10分

鰹+ホッキ

鰹はいろいろ耳に挟み、懸念していた通りのはずれ。小振りな上に味が薄くて水っぽい。今年はもうダメだな。一方、ホッキは豊漁のせいか例年の半額ほど。大振りでずっしりと重く分厚い。正式名はウバ貝? だったかな。これは道南の噴火湾産と思われる。南限は福島浜通りだが、南ほど小さくて殻が茶色く薄くなる。

ホッキの足

ぴちぴちとして鮮度も上々なので湯掻かずに生で刺身にした。鳥貝ほどの効果はないが、捌いたら俎板にペシっと叩きつけるときゃんと身が締まり、歯応えが一段と増す。ヒモと柱は軽く湯掻いて殻に盛りつけた。貝としては癖がなく、身肉も大きく厚く食べ応えがあるほう。赤貝にしても蛤にしても大枚叩いても、あまりにもみすぼらしくてがっくりくることが多い昨今であるが、ホッキは流通が限定されているせいかまだいける。

ホッキ刺し

◇ 即席プアマンズ・ピラフ#2

調理時間:実働30分

劇安いんちきベーコン4枚と玉葱中1個だけでもなんとかするのが主夫の知恵というもの。

炊きあがり

材料:生米(ふさおとめ) 3合、ベーコン4枚、玉葱1個
調味料:塩、胡椒
香辛料:黒胡椒、カルダモン、クローブ、フェネグリーク、シナモン、赤唐辛子、月桂樹の乾燥葉、クミンシード、フェンネル、アジュワンシード、コリアンダー、ターメリック、大蒜、生姜等適宜
その他:青葱
 
調理
イ)生米3合を水洗し水を切り15分ほど放置。フライパンを弱火で火にかける。
ロ)黒胡椒、カルダモン、クローブ、フェネグリーク、シナモンを放りこみ、ちぎった赤唐辛子、月桂樹の乾燥葉を握り潰して加える。中押しスパイスとしてクミンシード、フェンネル、アジュワンシード、コリアンダー、ターメリックを準備しておく。
ハ)植物油を敷く。
ニ)ベーコン、玉葱・大蒜・生姜のみじん切りを加え、塩7.5gで味付けし中火でよく炒める。
ホ)玉葱が透き通ったら洗った米3合を加え、木ベラでよく混ぜながら中火で米が透き通るまでよく炒める。
ヘ)水540ml、固形スープの素1個、中押しスパイスを撒いて強火で沸騰させる。
ト)沸騰したら弱火に落とし、フライパンにガラス蓋をして水分がなくなるまで10分程度炊く。
チ)目視、および耳を寄せ、音がしなくなったら火を止めて、そのまま7~8分蒸らす。
リ)青葱を混ぜ込んで完成。
 

カレーピラフ

スパイスや油は好みで適宜選べば、東アジア~南アジア~中近東風~南欧風まで自在に対応可能。ピラフである以上、米粒の質感と舌触りがある程度の硬質さを保持し、米はあくまで米の味を保ち、油を媒介に具材や調味料と馴染んでいることが必要不可欠。米が水を吸いすぎると炊き込み御飯になってしまうので、水洗後15分ほど水切りして油できっちり炒めるあたりが肝要。大蒜や生姜は油で香り立てないと効果が出ないが、スパイス類も軽く乾煎りして、弱火で油に香味成分をじっくり引きだすとよりいっそう香り豊かなピラフになる。写真で人参のように見えるものは、ターメリックを水でふやかして細かく刻んだもの。青葱はパセリや香菜にしてもかまわない。


2009/10/28 作成__2009/10/30 最終更新