倦怠の秋


刈り取ったコリアンダーの鉢で葱を再生していたら、いつの間にかこぼれ種からコリアンダーが発芽。双葉と成葉は形が全然違うのが面白い。大量に収獲した種は地植えにしようかプランターにすべきか思案中。子金魚は体長3cm~5cm程に成長、十数匹が群れを成して泳いでいるが、大きくなるにつれ色がオレンジ一色になってきてツマラン。フナに戻るのは何代先か? 小さな鯉でも買って来て入れてみようかと考えていたが、この調子で増えられたら堪らんなぁ。

よく使っていた停車場前のスーパーが撤退だと。このオレが唯一ポイントカード(のサブカード)を持っている店だというのに。地下だし場所も悪かったせいもあるが、対面の大手が露骨に値段合わせてきたから体力勝負じゃ負けるよなぁ。売り場もコンパクトだし、過剰なイメージ戦略や宣伝も皆無で使い勝手はとても良かったのに、また一軒買い物する店がなくなった。養殖モノや加工食品しか扱っていない大手や専門店に比べ、けっこうマトモな魚と異様に安い肉で、その特異な仕入れの方向性に好奇を惹かれつつも賛同していたのだが、なんとも残念なことだ。またどっか探さなくちゃな。求める魚を探すために、求める魚を扱う魚屋を探さなきゃいけないなんて不便な時代になったものだ。魚は冗談抜きで卸売市場に買いにいくか、鮨屋で適当に見繕ってもらわないとマトモなモノが食えない時代になりつつあるようだ。

一方、その大手が入る駅前ビルもテナントの閉店ラッシュが続いていて、行く度に白い壁で囲われた区域が制御が効かなくなったガン細胞のように増殖している。築30年以上の建物じゃ、増改築にあたる改装は(法律上、ゼロから建て直さない限り)不可能だろうが、もう現代の商慣行や客商売には対応できないプランであることも事実なわけで、騙し騙し使って、このまま朽ちていくしかないのだろうな。完全閉鎖型の地下階で、尚且つメイン導線から孤立して、雨に濡れなきゃ行けないような構造じゃあ、中国租界や朝鮮租界ぐらいしか借り手はいないぞ。

香菜

Webサーバにアクセスが皆無で、どうもおかしいなと思ったので携帯電話から検証。やっぱりアクセス不能なんだが、Webサーバは内側から見る限り生きているし、エラーも吐いていない。つまり、外からだけアクセスできない=urlにipが割り振られていない? ならばDDNSだろう。とは言いつつも、エラー・ログを探すのに手間取り、漸く辿り着いた結論は、やっぱりDDNSのアカウントが削除されていたから。ありま。今まで1年動いていたのに何故にして今? と考えればあれだ。先月、雷雨で瞬間停電してサーバ再起動を行ったせい。それしかない。そういえば定期的に割り当てグローバルipをチェックしてDDNSに報告するアプリを動かしてなかったっけ? という考えにに至るのに15分。インストールしたはずのそのアプリの名前を完璧に失念していて右往左往で30分。DDNSの登録レクチャーWebを検索して、そのアプリがinadynというらしいということに思い至るに15分。その名前を頼りにログと設定ファイルの位置を探すのに数分と、総計1時間が無駄に費された。

結果的にバックグラウンドで動作するinadynコマンドが実行されておらず、ipアドレスの更新をサボっていて、30日音沙汰なしでDDNS側のアカウント削除に至ったということらしい。メールでも警告が来ていたが、Webメールなんていちいちチェックしないものな。おかげでinadynコマンドどころか、どこのDDNSを使っていたのかすら記憶の彼方で、アカウント取り直して復帰するのに3時間もかかったわ。まぁ、そのうち2時間45分は1年前にやったことを思い出すのに掛かったわけで、なんともはや忍び寄る老い。引き返せない時間。幸い同じアカウントで同じurlが取れて何も弄らずに済んで助かった。rc.localを弄って、次回再起動時には必ずinadynを自動実行するように設定して、また忘却の彼方へ。こうやって、どんどんワケがわからないBlackboxになっていくのだが、動いている分には気にもしなくなるもの。あッそれ~ほいほい。

新子

今年もやって来た。鮨といえば新子。すし売りが《こはだのスゥー(シッ)》と24時間営業で練り歩いた下司なファストフードの原型でもある。まぁ、趣は若干異なるがコハダ、小振りなナカズミまではもちろんOKだが、コノシロは論外。何はともあれ大きさが大事な逆出世魚。煮ても焼いても食えないが、酢で締めれば食えるという正に鮨のために生まれてきたような魚。シーズンは短いが今年はよく獲れている? まだあった。コハダに成りかかった新子は1貫2枚付けにまで成長(9/3、9/11:東京湾最奥船橋モノ)。身も僅かにふっくらしてきた。7月の九州産を走りに、盛夏が終わると、新子も名残。本来は残暑の頃が旬だったので値段もこなれ、2~3枚付で丁度良い。浅く締めて一晩くらい置いた、しっとりとした身の柔らかさと香り、あってないような微妙な薄皮の舌触り、口の中でホロける温かい酢飯の酢加減、握り加減のバランスが正に鮨の鮨たる味わい。新子はしゃりの良し悪しも際立たせる。箸でつまめるような鮨は失格だし、煮切りをつけて崩れない酢飯は“お握り”だ。

鮨屋としては手間ばっかり掛かってデリケートで扱い辛い上に高くは取れず、需要が下降線だとしても握り鮨である以上置かないわけにもいかないという、腕とプライドを試されるが、だからといって、上品にもったいぶったり、手を掛けて入れ込んでいるという熱意が見えるのは野暮の極みという究極のネタだ。さり気なく出されたものを何の躊躇いもなく無造作に口に入れて、うんうんうんと鼻から香りを一息抜いたら、次に出された戻り鰹の今年の揚がり具合とイカ塩辛の塩加減なんぞを話題にするもの。コハダはともかく、新子は元来メニューに載せるような魚ではなく、時期を知っている客がコハダを頼むとさり気なく出てきたものだったが、メディアが煽ったおかげで高値が付くから、昨今は漁師までが血眼になって乱獲に走り、肝心のコハダがさっぱり獲れないといういつものパターン。

一方で、嗜好の変化に伴い年々、特に酢締めの光モノの需要は落ちている。手間が掛かる上にモノが出なけりゃ、産業系を中心に当然自家で締めずに業務用既製品の味付き冷凍フィレを使うような店も増える。スーパーや魚店に行けば、輸入物の冷凍コノシロを加工してコハダ○○漬と名付けた既製品が目白押しだ。コハダと名乗るなら体長は10cm程度(新子なら5cm)。鮨にしたらネタは一貫一枚(半身一枚付けでナカズミ)大きくても2cmx7cmといったところ。縦に並べ、半分裏返したり、斜めに巻付けたりと見映えはいろいろ。青鼠の斑点と銀地の地肌に刻まれた飾り包丁から覗く淡いピンクの肉色が美しいが、たかがコハダをあんまり弄くりまわすのは嫌だな。体長が大きくなるにつれ小骨が目立つし皮が厚く大味で食えたモンじゃないから、小さいことに意義があるわけで、“コノシロ”を“コハダ”として食わされたら、嫌う人が増えるというのも実によくわかる。

大葉やガリを挟んだ摘みは別としても、この新子・コハダ鮨、現代においても尚ヴァーナキュラーな存在なようで、西は静岡東部(沼津)、北は仙台が限界で、それ以遠、特に日本海側ではあまり見かけない。見かけても甘酢で締めていたり、昆布で風味付けしたり、紫蘇を挟んだりといった基本的な味の組み立てや、しゃりとの(酢の)バランス、締め方、切り付け方から果ては根本の魚の選び方(揃えた大きさ、身肉の厚さから脂のり)までの嗜好や方向性が大きく異なり、経験的に似て非なるものというか、まったくの別物に化けていることが多い。

金魚の親子

一方、本来なら活況の戻り鰹が質量共に冴えない。数が揚がらない上に1kgほどの節にするような小物ばかりで、中物が高騰しちゃって手が出ないらしい。スーパーなんかもモノがないから倉庫から数年前の冷凍タタキを引っ張り出してきて並べてるものなぁ。代わって、でかくなるほど高くなるブリが早くも登場とは驚いた。まだカンパチも食ってないのに。宮古産のブリだが、なかなか味わいが深く、身肉の旨味が濃い。生と漬を並べてもらう。太平洋産は暈けた大味であることが多いのだが、こいつは珍しいねぇ、と鮨職人とも見解が一致。まだあんちゃんだけどよく出来た人で、ビールのときは白身と貝の波状攻撃、酒にスイッチすると、まぁ、ごゆっくりとばかりにすかさずホヤ(冬はナマコ)と塩辛が出て、そのあと光物攻め、脂モノへと流れていく。食べたいなと思ったものが、思考をトレースするように何も言わずに出て来て、尚且つ最後に一つ二つ好みを追加する余地を残すような按配で、楽チンだからつい酒が進んでしまう。

イクラの醤油漬も出回り始めたが、鮭も不漁らしく職人は浮かぬ顔。塩イクラは(数年前の)冷凍なので好不漁の影響が値段に跳ね返ることはあまりないそうだが、生は直撃を受ける。でも、9月にしか食えない生と年間通し定番ネタの塩イクラの差は歴然としているものね。代用はできない。秋になってメバチに代わり本鮪も近海の生が手頃になってきた。程良い酸味と香りがのった本鮪もやはり代えられないものの一つ。中トロなんだろうが、一見、赤身のように筋が入っていないのだが、口に入れた途端蕩けるのだな。別の場所だが、あとなんか面白いのない? と頼むと、今期初入荷の近海ブランド本鮪のカマが出てきたことがあった。うわぁ。差しが入った和牛みたいにすげぇ脂の上、一貫2枚付けの売り切り大サービスで、口に入れたまま固まって、よっぽど変な顔をしていたらしい。おまけしてくれた上に口直し用に鉄砲巻とお茶くれた。ごめん、ごめん。世間的にみればおいしいんだよ、たぶん。

少しずつ満足に近づく穴子飯

調理時間:煮込60分+本調理10分

詰め

穴子の旬はもう少し続きそう。庭で紫蘇の葉を摘み、補充と火入れを繰り返した煮凝り状のツメを温める。刻んだ紫蘇を炊き立ての飯の上に散らし、煮上がった穴子を飯の上にそっと横たえて、山葵を添えたら、はらりとツメを掛け回すだけ。

■煮穴子飯(一尾/一人前)
 
1:下拵え
イ)開いた穴子は皮目を上に俎板に並べ、80℃以上の湯で湯霜し氷水で締める。
ロ)皮目に浮いた白いヌメリを包丁でこそぎ落とす。
ハ)残った内臓や薄皮を手で毟り、気になるならば背びれの小骨(黒い部分)を落とす。
 
2:煮る
イ)鍋に深さ10cmほどの水と酒(50%ずつ)を張り、火に掛ける。
ロ)沸騰したら穴子を入れて蓋をして弱火で20分煮る。
ハ)白糖50gを入れ、引き続き15分煮る。
ニ)濃口醤油30mlを入れ、引き続き10分煮る。
ホ)火を止めたら蓋を取って50℃程度(手を入れられる)まで冷ます。
 
3:飯
イ)器に白飯を盛り、刻んだ紫蘇の葉を散らす。
ロ)煮汁に手を突っ込んで、穴子を慎重に取り出して二分割。飯に載せて山葵を添え、詰めを回し掛ける。

煮穴子飯

神経を使うのは、穴子を煮汁からすくい上げるときだけ、という極めて安直かつ手間の掛からないご飯もの。今年はもう一回ぐらい作れるかな?


2009/09/14 作成__2009/09/15 最終更新