蕎麦一考


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暑さが続くと食欲が落ちるから飯が減る。おかげで変なときに小腹が空くものだ。ふふんと見回して、ちょいと摘もうにも鰻は時期が悪いし、天麩羅は暑苦しい。そんなときにはやはり蕎麦。たかが蕎麦だから、蕎麦といえばモリ。笊に載っていても海苔が載っていなければモリ。海苔は通人の酔狂であり手遊び。若い頃はお稲荷さんを追加したり、天麩羅と合わせたりと何か具がないと物足りなかったが、今はむしろ何も要らない。外ではかつ重セットや鴨せいろ、寒い時期なら掻揚げ蕎麦やあられ蕎麦を食ったりもするが、やはり基本は更科でも藪でも挽きぐるみの田舎蕎麦でもモリ(せいろ)だろう。特に初めて入った蕎麦屋では最後に必ずモリを1枚頼む。旨ければもう1枚追加する。モリがダメな蕎麦屋に存在価値はない。掻揚げを食えばその天麩羅屋の7割が、コハダを食えばその鮨屋の9割がわかるように、モリを食えばその蕎麦屋のすべてがわかるといっても過言ではない。

盛り蕎麦は蕎麦切りとつゆ、薬味で構成されるわけだが、薬味はあまり重要ではない。良い蕎麦と、鰹の枯れ節で出汁を取り、しっかり寝かした返しを合わせたキレのあるつゆがあれば、薬味は不要だからである。蕎麦やつゆに何らかの瑕疵があり、途中で飽きる場合に薬味の助けを借りることは大いにある。いろいろな薬味を出すことがサービスだと勘違いしている蕎麦屋があるが、それは大きな間違いである。薬味は山葵か辛味大根と葱のみでよい。薬味に無意味なコストを掛けるのではなく、蕎麦切りとつゆにこそ拘りを持ってほしい。特に、徳利のつゆが最初から猪口に入って出て来る店があるが、あれはいけない。食べているうちに薄まってくるつゆの濃度調整ができないし、最後に蕎麦湯を飲むときに、つゆと蕎麦湯だけで味わいたいことがあるからだ。そして、何よりも、蕎麦はたかが蕎麦である。そば粉は800円/kgはするから、200円/kgしないうどん粉よりは高価であるとしても、所詮蕎麦屋は蕎麦屋。出てくるモノはただの蕎麦。気取ってモノを食う場所ではない……はず。

蕎麦

蕎麦店業態の経験的分類

一町に一店ほど在って、隣接2~3店から「今日はどこにスッペかな?」と店を選択し、黒電話をジーコロして出前を頼んだのも今は昔。脂ものに欠ける淡白で昭和的な古臭さと昼酒のイメージが若年層の嫌悪を喚起するせいか、業界全体の斜陽化もさることながら、ことに個人店の惨状は目を覆うばかり。商業地は蕎麦チェーンの進出により代替が計られたが、手近にぷらっと酒にありつける蕎麦店が急激に減っている。蕎麦はたかが蕎麦なので、個人的には“そこそこ”であることがツボに嵌るのだが、その中庸な加減が生き残るのは難しいのだろう。

◇ グルメ蕎麦屋

最近増殖しているシャレた洋風の雰囲気を漂わせたグルメ・ブロガー御用達の高額ヘルシー・グルメ蕎麦店。蕎麦懐石はあるが、モリがなかったり、マヨネーズを細クロスに絞ったサラダ蕎麦の薬味がチーズとトマトだったりする新業態。いかにも家賃が高そうな、オシャレ~でコッパズカシイ名前の新興ビルに店を構えるので、蕎麦も極めて高価で老舗に比べても呆れるほど量が少なく、器を眺めに行くようなもの。有名店のチェーン展開だったり、暖簾分けの場合もあるが、媚びた余計な創作が往々にして滑稽で、亭主の気取りと垂れ流す薀蓄が煩くて嫌気が差す。往々にして、蕎麦は良くともつゆがなってなかったり、まずい蕎麦でも海苔や柚子でも掛けておけば女が釣れるといった、本質を蔑ろにした愚弄と、あからさまな媚びがみえみえで尻がムズ痒くなる。高価な葡萄酒を薦めてきたり、サラダやデザートでメニューのコース化を計ったりと、臆面のないスマートで爽やかなスタイルの裏に、極めて現代的な資本の論理が見え隠れするのが愉しい。

◇ 田舎蕎麦屋

観光地の街道沿いや田舎町にぽつんとある脱サラUターン個人店や暖簾分け? 枕詞に「名物」を冠した奇を衒った“ご当地蕎麦”から普通の田舎蕎麦まで、蕎麦切りは特別な食べ物という意識があるのかないのか、うっかりするとグルメ蕎麦を凌駕する目を疑うお値段だったりして笑える。手打ちはもちろん、自家製粉からソバ自家栽培までを売りにして差別化を計る場合がある。量は野暮ったいほど多かったり、あるいは気取り過ぎで極小だったりと差が激しい。挽きぐるみの蕎麦(太打ちはいいや)は旨いのに、食感がごりごりでモソモソだったり、つゆが砂糖でベタベタくどかったり、問答無用で海苔がかかっていたり、蕎麦湯がなかったり、生卵やら胡麻やら紫蘇やら柚子やらがパレードしてるわ、BGMがJAZZだわ、挙句の果てには、塩(!?:それも○○の岩塩!)で食えだの、つゆをぶっかけろ云々と細々指図を受けないと睨まれてしまうというおまけ付。席はたくさん空いているのに、何故か人恋しそうに寄ってくる客筋にも率直な驚きを禁じ得ず、感性の差異を愉しむのもよい。隣で日焼け顔の常連サンがタバコ吹かしながらカレーうどん食って、煩いガキがケチャップ掛かったハンバーグを食い散らかしたりしているような泡沫感も味のうち。

◇ 趣味蕎麦屋

事務所ビルの1階や下町のさりげない一軒家。良い酒を呑むための蕎麦屋に特化した摘みと、原則手打ちの蕎麦。あとは蕎麦に負けないが勝ってもいけないキリリと締まった付けつゆで三拍子揃う。設えも座敷、椅子席ともに極めて居心地よく、客筋もこなれているので長居に向く。そのせいもあって、食べ方(呑み方)によってはそれなりの値段を覚悟すべき。妙齢の女性2名を連れ立って腰が抜けるまで呑み食いし、2万越えて仰け反った記憶がある。蕎麦のみでうどん無し、かつ終日禁煙も多い。薬味は本山葵や辛味大根に葱で簡素。上質な蕎麦湯が頃合を見計らって遅滞なく提供される。胡麻油で揚げた天麩羅や鴨焼きもしっかり主張の感じられる味わい。店によっては掻揚げ丼や親子丼、一歩開き直ってかつ丼もあったりするが数は少ないか。

◇ 老舗

創業が江戸期または明治期程度の老舗蕎麦店。江戸時代からの伝統を売りにした、更科、藪、砂場のブランド末裔とそれに属さない大衆店が存在する。容積率600%の商業地域に庭付き木造一戸建てだったり、接客や品書きの表現が頑固一徹だったり、現代の一般的な常識から考えると、なんとも変わった(へんちくりんな)店が多いな。概ね狭くて相席は当り前。完全禁煙から昼のみ禁煙まで巾はある。一人呑みの爺さんに相槌を打ってやると、たまに酒奢ってくれるのは鮨屋ぐらいになってきたが、ここにもそんな気風が残っていないことはない。ブランド店は蕎麦のみ饂飩なし。冷や酒で適当に摘んで、最後にモリ3枚みたいな頼み方は至極普通にできる。酒は蕎麦屋酒ということで菊正宗しか置かないというのが正統である。蕎麦は細打ち主体で、つなぎに工夫を凝らした各種蕎麦を置く店もある。生き残るだけあってさすがだと思うが蕎麦は蕎麦。いつでも同じ味が出せる個性あるつゆはリファレンス。薬味はポリシーに基づいて一定ではなく、店によりかなり特色があるが派手さはない。“たかが蕎麦”という意識は自覚しているのか、《店側には》嫌味ったらしい気取りはない。決して高価ではないが、場所柄それなり。量は決して多くはないので食事としては物足りないが、蕎麦前を愉しんで、後は腹具合に応じて追加して行くもの。いきなり山盛りで出されたら水切れ悪いし、下のほうビロンビロンに伸びちゃうぞ。観光客や坊ちゃん・嬢ちゃんがいちいちビール瓶や徳利にガンを飛ばしたり、外国人や気取った女が蕎麦をハムハムぶつ切りにしながら、箸をつゆに突っ込んでいるのを横目に眺めつつも、他人は他人、自分は自分。

◇ 街蕎麦屋

商業地や住宅地の商店街に店を構え、蕎麦の質も摘みもそれなり。機械併用も含め概ね手打ち。蕎麦の種類を数種扱ったり、割合の違う蕎麦を用意したりとけっこう芸が細かく、向上意欲は感じられる。亭主が有名店で修行したといった例や、暖簾分けの場合もある。客層の高齢化に伴う減塩信仰に迎合し、返しが薄くなりがちなのが困りもの。刺身等の生臭モノや煮物、四足肉など居酒屋風の摘みが増え、食事のみの客も優勢。小上り1/3、椅子席2/3ぐらいのレイアウトが多い。昼飯時は普通に相席。酒は清酒に加え、蕎麦焼酎の蕎麦湯割りなんぞが似合う。山葵はちょっと上等だったりもするが、本山葵を使うところはあまりない。かつ重や丼ものは必須、うどんを置くことも多い。昼飯時以外はまだまだ喫煙可が多いかな。蕎麦打ちは体力が必要なので跡継ぎが上手く継承しないと、経営者の高齢化に伴い、気が付くとあっさり閉店している例に暇がない。

◇ 街の駄蕎麦屋

小さな商店街や住宅地にある昔ながらの蕎麦屋。TVがBGM。新聞やマンガ週刊誌が転がっており、食事が提供されるまで暇を潰す。積極的に出前を行う。重、丼、うどん、カレーといった腹持ち優先、各種セットありで、蕎麦はほとんど脇役、混合比も小麦粉優先。蕎麦は製麺所製の機械打ち生麺か? 立ち食いに劣ることも多い。茹で鍋がうどんと共用だったり、締めに冷水を使わなかったりという調理側の手抜きも看過できないレベルに達しているが、期待もしていないからどうでもいいや。練り山葵。つゆが総じて甘味を増すにつれ、出汁は香らないお子様向け甘辛醤油汁に成り果てる。どうせ業務用の既製つゆだろう? 敢えて蕎麦湯専用に蕎麦湯を作っている店はないに等しいだろうが、求めれば「あったかな?」と首を傾げながらも大抵は持って来る。小麦湯だけどね。質に拘らなければ居心地はそんなに悪くない。酒呑んで昼寝しても放っておかれるが、夜は店仕舞いが早くて追い出される。猫が座布団で丸くなったり、店主のガキが座敷で宿題したりする公私浸潤タイプ。

◇ エキナカ立ち蕎麦屋

名前は違えど中身は同じという玉虫色に偽装した店舗展開で日夜、味蒙を引き寄せる誘蛾灯のようなもの。すべてとはいわないが、食べ物屋のレベルを超えた業態。本業が社畜輸送業と考えれば、給餌だからいいのか。うどん、丼類、セットものもかなりある、というかそっちが主体? 蕎麦といっても極細打ちうどんだが、予め工場で茹でた茹で麺を使うことで注文から提供の時間短縮を計る。昨今は生麺使用を謳う高級エキナカも増加中だが、味のほうは相変わらず。原材料の問題というよりは企業姿勢の問題だろう。使われる材料が可哀想だわ。街中立食いを上回る連結子会社による独占暴利価格と最低辺のぬるい味と投げ遣りなサービスは、サラリーマンの三位一体自虐的極意とでもいうべきか。合掌。

◇ 立ち蕎麦屋

振り売りを原型とする下層民向けファストフード(当時の価格は白米>うどん>蕎麦)として、最も歴史的な形態を受け継いでいるのが立食いだろう。チェーンが多いが個人店も生き残る。質はピンキリ。同じチェーンでも店により、時間帯により、調理者により質は異なることが多い。低価格、高回転。ちょっと殺伐。食うものを決めてから券売機に並ぶ、背中にリュック背負わず下に置く、ちまちまお喋りしながら食いたいなら他所で食う、自分が食い終わったら同伴者が食い終わるのを待ってないでさっさと場所を開ける、といった最低限のルールを理解できない女子供は純粋に邪魔。薬味は概ねしょぼい。昔はカウンターに壷を並べて勝手に取る店が多かったが今は少ない。蕎麦湯はあったりなかったり。あってもセルフでぞんざいに扱うから湯桶やポッドが汚なかったり、冷めていたり、空っぽだったり。質の向上は昨今著しく、自家製麺の生麺使用、十割蕎麦や注文揚げ立ての掻揚げなどネタに拘る店も増えてきた。禁煙。丼セット、うどんも概ね扱う。

盛り蕎麦

蕎麦を家で食うのは意外に難しい。自ら打つか生蕎麦を買ってくればよいのだろうが、そこまでするなら食いに出るわな。たかが蕎麦だから。近在の製粉所で粉を買って自ら打ったこともあるが、アレは生半可な努力では立ち打ちできない。それなりに道具も必要だし、初期投資を回収できそうもないからすぐに諦めた。手打ちを看板にしている老舗が存在しないように、手打ちか否かにはあまり興味がない。エッジが立った切れ味の良い蕎麦ならどっちでもいいわ。勢い、家蕎麦は乾麺に頼ることになるが、これがまた、どんなにおいしいといわれる乾麺でも、所詮、乾麺でしかないという宿命を抱えている。十割だろうが、○○蕎麦粉使用だろうが乾麺は乾麺の味しかしない。蕎麦粉含有量でモノを選ぶよりも最適の茹で方を見つけるほうが苦労のし甲斐があるというもの。

盛り蕎麦

JASの「干しそば」の規格ではそば粉40%以上を標準品、50%以上を上級品と定めているが、JASマークを付けなければ、これらの規格とは別に“そば”を名乗る干しそば(乾麺)が存在してはいけないというわけではない。事実、20%や30%、酷いものになるとJASマークを付けながら10%を切っていた等という例も記憶に新しい。生めんに関しては、公正競争規約によりそば粉30%以上の場合、“そば”と名乗ってよいと規定されている。

◇ つゆ

市販の麺つゆは言葉通り素麺やうどんといった麺全般に使うように作られているようで、悉く甘味が勝ち過ぎて、イリコ類から果ては干し茸までが混入されており、更に化学的に旨味の増強が施されるために雑味が満載なのが難点で、返しを用いていないという意味でも、蕎麦つゆとしては使い物にならない。比較的高価な蕎麦専用品も中身は大して変わらない。添加物で保存性を増すことが嫌われる以上、使える出汁類の量には限界がある。濃縮タイプとはいえ、規定通り薄めると最早つゆの体を為さないほど薄っぺらい見た目と味で、売る側にすれば薄くてヘルシーでしょとでも言っておけば、たくさん釣れて笑いが止まらないことは理解できる。毟れるところから可能な限り毟り尽くすのが資本主義の基本理念だものな。

以前は出汁と返しを分けて作り、各々冷蔵保存していたが、出汁は冷蔵しても1週間ほどが限度で簡単に腐ってくれるので扱い難い。そこで最近は返しと合わせて塩分の保存効果を利用して常時保存している。思い立ったときに冷えた蕎麦つゆがないと蕎麦は食えない。

返しは味醂1を煮切り(容積0.7くらい)、濃口醤油1(丸大豆・本醸造:正田醤油製家庭用)を加え、煮立たせない程度(90℃)に加熱、冷却後、新聞紙でも載せて2~3日常温で放置する。味醂に含まれるエタノールの沸点は78℃なので2度沸騰させて、水もある程度飛ばしたほうが旨味が凝縮される。ゆっくり寝かすので醤油も味醂もあまり上質の物を使う意味はなく普及品で十分でしょう。砂糖を使わないのは返しの一部をそのまま煮切り醤油として使うため。甘味を補うため味醂の量が多くなる。かつて、“ざる”のつゆはザラメ・砂糖入りだったが、“もり”のつゆは味醂だけで作ったという意味付けもできないことはない。

出汁は鰹枯れ節をぐつぐつ沸騰させて、半量になるくらいまで30分~40分ほど煮込む(!)。色はお上品な琥珀色ではなく透明な褐色。貧乏だから宗田節、鯖節、ちょっと毛色が変わるが場合によっては昆布までは混入を認める。煮干や椎茸等を入れると“ご当地蕎麦”になっちゃうよん。出汁が熱いうちに両者を出汁1:返し1で合わせて放置。冷めたら保存瓶で冷蔵している。このとき出涸らしを捨てずに一緒に漬け込むことで出汁の旨味を本来のバランスになるように、更にぐぐいと増強する。量はすべて目分量だ。計るくらいなら外に食いに行くわ。

減ってきたら追加作成・継ぎ足しを繰り返し、既に3年ほどが経っているが変質はしていない。置けば置くほど角が取れてまったりとした按配である。使うときに適当に上下攪拌して、古そうな固形分はつゆと一緒に取り出すが、底に沈んだ枯れ節には3年以上前のモノも含まれるだろう。出汁の水分が少なければ少ないほど保存が利く。野蛮で品性の欠片もないが、うちのつゆは濃い。辛さは味醂のとろんとした甘さに融合して、きつくはないが、埋没もしない程度。蕎麦つゆに使う場合は適宜薄めることになるが、夏場は氷を浮かべ溶け切るくらいが丁度よい。よく出汁3:返し1といわれるが、蕎麦店のつゆは薄いなぁと思うのが2.5:1、お、なかなかやるなと思うモノは限りなく1:1に近いように思われる。自分でやってみればよくわかる。蕎麦を食い終わって蕎麦湯を注ぐと濃厚な鰹出汁が香り立つ。取り切れない節が混じるのは愛嬌ということで。もっとも、品質保証はできないし、トラブるのは嫌なので他人に出すときは濃縮タイプの市販つゆを薄めに薄めて出すことにしている。手間暇掛けた“手作り品”よりも、他人の痕跡を徹底的に滅菌処理した“手作り○○”という名の既成品が喜ばれる社会だからね。

干しそば

◇ 生麺風の腰と喉越しを目指す乾麺の茹で方

イ)乾麺を予めバットで10分ほど(乾麺による)ヒタヒタの水に浸し、大鍋に湯を沸かす。
ロ)乾麺の中心部まで水分が行き渡って、外形は保持しているが、くたっと柔らかくなった麺を沸騰したたっぷりの湯で茹でる。中強火。茹で時間は標準の半分程度でよいだろう。
ハ)菜箸で適度に掻き混ぜながら、吹き上がったら差し水をする。適宜味見をして好みの硬さに茹で上げる。
ニ)手早く湯切りをしたら水で粗熱をとり、冷水(氷水)できっちり締め上げる。
ホ)水を切って、笊や蒸篭に盛る。

薬味や付けつゆはタイミングを合わせて準備しておく。茹で上りを遅滞なく食べるのは当然として、量が多過ぎると下のほうは伸びる。5~6分程度で食べきれる量が適切だろう。蕎麦粉含有量の低い乾麺の茹で汁は、実質、小麦湯+αなので、湯に別の蕎麦粉を溶いて蕎麦湯としたほうがよい。いっそ、一歩進んで100%蕎麦粉を落とした茹で湯で安い乾麺を茹でると、アラ、不思議、まるで蕎麦粉でできた乾麺のように香り立って茹で上がる。

薬味は葱、本山葵は常備できないので練り山葵(粉山葵を練る)、ないしは辛味大根を下ろす程度で余計なことはまずしない。この手の安乾麺は刻み海苔でも散らして香りを誤魔化してもよいのかもしれないが、蕎麦に海苔が合うと思ったことはない。蕎麦はたっぷり、一人前200gの乾麺を茹で上げ、つゆも気取った店のようにケチらず必要なだけ使う。

水煮牛肉(シュイジュウニウロー)試作

調理時間:準備20分+本調理10分

暑いときにはさっぱりしたものを……。

■準備(二人前)
 
1:野菜
イ)セロリ1本、レタス半個、モヤシ1袋を水洗し、必要に応じ適当に刻んで水を切っておく。野菜は青梗菜、白菜などでもよい。
ロ)トッピング用葱みじん切り、大蒜みじん切りを用意しておく。
 
2:牛肉
イ)300g程度。ブロック肉なら一口大に薄切り、焼肉用や赤身の薄切りでもよい。
ロ)ボールに生肉を入れて、塩胡椒、五香粉。少量の卵、老酒でよく揉み、肉が水分を吸ったら片栗粉で揉んで、衣を作る。30分ほど馴染ませる。
 
3:辣油
イ)中華鍋に200mlの植物油と花椒一掴み、赤唐辛子10本を入れ、弱火で着火。じっくりとスパイスの成分を抽出する。
ロ)唐辛子が焦げる直前に火を止め、油を漉しとり、残骸は適宜刻んでおく。油は30mlほどを鍋に残し、残りは再加熱するので別鍋に入れておく。

水煮牛肉

■本調理
 
イ)鶏がらスープを温めておく。泡辣椒5本とドウチ20g、生姜はみじん切りにしておく。盛り付け用の器を手近に置く。
ロ)準備ができたら、上記辣油を最終的に180℃まで再加熱開始。加熱し過ぎないよう要注意(火が入る)。
ハ)中華鍋に残した辣油を加熱、中火で泡辣椒、豆板醤30g、生姜みじん切りを炒め、香りを出す。
ニ)更にドウチ、酒醸30gを加え、沸騰したスープ300mlを鍋肌に回す。
ホ)老酒30ml、醤油15mlで味を調え、沸騰させる。
へ)野菜類を一気に投入、数秒後再沸騰したらジャーレンですくい、スープを切りながら野菜のみを器に上げる。
ト)野菜を除いたスープで、牛肉を適宜お玉で押し分けながら煮る。
チ)肉に火が通ったら、スープごと野菜の上に盛り付け、刻んだスパイス残骸をちりばめる。
リ)葱、大蒜みじん切りをトッピング。
ヌ)再加熱して軽く発煙している高温の辣油を、盛り付けた肉の上に回し掛け(ジョワ~と凄い音と匂い)して完成。

水煮牛肉

表面には1cm以上の香辣油の膜ができる。油の膜で熱が逃げないので具材はアツアツ。箸を器に突っ込んで、底のほうから野菜と肉のみを引き出して食べる。油層を通過する際に花椒の風味が絡み付く。一見、しつこそうだが、花椒の効果で信じられないほどさっぱりとした味わい。スコーンと抜ける爽やかで鮮烈な辛さ。10年ほど前だろうか。初めて食べたときは平伏したくなるほど感動した。試作初回ということで不満な点は数あるが、基本的なポイントは大きく外していないはず。ビールが旨い。


2009/08/29 作成__2009/08/31 最終更新