眺めるGW


香菜の増産に取り組んでいるが、せっかく残して植えた貴重な根から出たばかりの芽を鳥に片っ端から食われてしまい逆上気味。仕方がないから重い腰を上げ、畦道を徒歩15分、丘の上の集落に足を伸ばし、青果売りで購入するが高い。7本で198円もしやがる。休みの谷間のせいか品揃えがぱっとせず、青葱くらいしか買うものがない。風はあるが天気は良い。必然的に喉が渇くからビール。昼過ぎだと居酒屋も立ち飲みも開いていないので、必然的に蕎麦屋か鮨屋になる。鰻屋は近在にまともな店がないし、いつもの天麩羅屋は酒出さないし、出すところは調子に乗ってお好みで頼んでいると途方もなく高くついてかなわん。西洋料理は死んだ爺ちゃんに「西洋カブレはみっともない」と諌められたし、もう気取って飲み食いする歳でもないし、メニューが若者向けの店ばかりで味付けが合わないから自然と足も遠のくというもの。

結局、盛り蕎麦三枚食うよりは腹も膨れっぺぇと、ぷらぷら立ち食い鮨を覗いたら、あんちゃんは首を振り振り浮かない顔。なんもないよと言いつつも鳥貝を剥いてくれるが、相変わらず鮪もウニも食わしてくれず、シラスとかイカとか白身当てクイズとか。白一色攻め。通り沿いの満開のキメラ・ツツジを眺めながらビールをお代わりしたらあっという間に腹がくちくなる。あんちゃんの伝票を睨む目も死んでいる麗らかな初夏の午後。やる気が出ない時は勘定も超いい加減。いいのか?

焼売

調理時間45分

広東でシューマイ、普通語でシャオマイ、崎陽軒のはシウマイ。広東や福建がルーツなのだろうが、台湾でもよく見かける点心の一種。甘いのから辛いものまで、屋台や大衆食堂で蒸したてを食うと、形は同じ(でもない)でも、中身(と味、匂い)はまったく別物だと実感させてくれる軽食の一つ。餃子と違って主食ではなくお粥のおかず。或いは副菜でありおやつでもある飲茶。従って、味付けはおかずとしての明快な味付けを施すのが一般的。中身は肉や海老とは限らず、蟹や貝、野菜や漬物、玉子、そしてお約束の“よくわからないもの”と雑多にして多彩多岐に渡る。

乾燥椎茸、乾燥貝柱は少量の水で4~5時間かけて戻しておく。餡の材料は牛豚挽肉、五香粉、胡麻油、胡椒、ほどけた貝柱、オイスターソース、生姜みじん切り、老酒、醤油など適宜をまとめておく。別のボールに戻した椎茸、みじん切りの長葱、クワイ水煮(缶詰)は5mm角ぐらいに細かく切って、片栗粉をまぶし、手で捏ねて水気を吸わせる。長葱の代わりに玉葱を使うことが多いように見受けるが、あの甘味と水っぽさは何か根本が違う気がする。正月に出回る生の国産クワイは芋とは思えない法外な価格だが、輸入缶詰なら何ら拘ることなく使えるほど確実に安くお手軽。輸入筍水煮よりも安いはず。最後に材料をすべて一つに合わせたら、ざっくりと練って乾燥しないよう表面をラップでぴったり覆い冷蔵庫で30分ほど寝かす。その間に皮を作ろう。

皮は強力粉、薄力粉同量で300g程度に塩10gで捏ねる。まとまったら乾燥しないように20分ほど常温で寝かせると伸びがよくなる。ベンチ終了後直径2cmほどの細い紐状に伸ばし、包丁で1cmほどに分割する。打ち粉を振った台で、麺棒で厚さ0.4mmに伸ばすと直径8cmの皮ができるはず。重ねるとくっつくので打ち粉を多めに振るか、伸ばしたら即、具を詰めて成型してしまうのが良い。餃子が丸い皮を使うのに対し、焼売は一般的に包丁で裁断した四角い皮を使うようだが、まぁ、味に変わりはない。麺棒は長さ15cm、直径1.5cm程度と小さくて、表面がつるつるに加工された木製のものが使い易い。

焼売

トッピングはあってもなくてもよいが、特に豆には拘らず、松の実やクコの実、ナッツ類、香菜、蟹味噌、あるいは醤の類を色付けにすることも多い。グリーンピースには時期が早いので、今回は保存が利く銀杏。殻をプライヤで割り、沸騰した湯でお玉の底でごり押ししながら塩茹ですると薄皮が簡単に剥ける。

左手の人差し指と親指の先端を合わせた丸印の上に皮を置き、すっぽりと餡を詰め、きゅっと押し込み、平らな台で底を均すと簡単に円柱状に整形できる。トッピングを載せたら蒸し器にくっつかないよう並べていく。湯が沸いたら強火で6~7分蒸し上げて完成。蒸し上りを最初はそのまま、飽きたら黒香醋、冷めたら芥子を練り上げて醤油で食べてもよいか。粥や簡素なスープの供に。

貝柱湯

スープはどこかで食べた排骨火鍋の後、飯と一緒に出たスープがあまりにおいしかったので真似してみた。貝柱出汁、塩、胡椒、香菜のみの恐ろしくあっさりしたスープ。五香粉入れ忘れたんじゃないか? 干し貝柱の旨味と香菜の甘い香りが絶妙に調和していて目を開かされた。あるいは粥。貝柱出汁で米を炊き上げて、出汁をとった貝柱をほぐし、椎茸、袋茸水煮、生姜、塩で味付け、香菜を飾る。広東風は米の10倍程度の水で米粒を崩すまで炊くが、水が多ければ当然時間が掛かるし、食感として糊にならず米の形が残っている程度が好み。搾菜の胡麻油・辣油炒めや炸醤(ジァ・ジャン:甜麺醤で挽肉を炒めたもの)、泡菜、ピータン等好みで載せてもよい。

粥

麻婆豆腐

調理時間15分

久々。安定して同じ味が出せるようになって正直興味も失せた。写真は撮影用の花椒控えめヴァージョン。青菜は自家製青蒜。肉は牛挽き肉。豆腐は木綿だが下茹でと化粧油の効果で食感はつるんと柔らかい。一人前150gと押さえ気味にすれば形も崩れない。豆腐は沸騰させない程度に温め、中華鍋に入れる直前に湯を切ると、くっつかずにきれいな方形が保てる。

味はやはり基本に立ち返り、一口食べて、まず麻味が際立つものを心掛けている。辣味は二の次、後からじわじわと湧き上がる感触を目指せばよいので、豆板醤(P県+豆板辣醤)に赤唐辛子数本をみじん切りにして加える程度と控えめ。醤は豆板醤とドウチのみ。片栗粉でトロミを付けて強火で固めたら、火を止める直前に青蒜を飾り軽く鍋を煽る。最後に乾煎りした花椒を擂粉木で挽いたものをまぶしている。糖類は一切加えないが、花椒が一定量を超えると舌先が甘味を感ずるようになるので面白い。

麻婆豆腐

醤(ジャン)は熱と油を合わせて香り立て旨味を引き出すもの、調味料は鍋の上で熱と合わせるもの、葱姜蒜(ツォン・ジァン・スワン)は調味料として油で炒めて香り立てるもの、という基礎的な作法を踏襲すると出来上がりは飛躍的に安定する。事前に合わせると特徴が死んでしまうから、個々の調味料は個別に売られているわけで、合わせ調味料という手法は、個々の調味料の際立った特徴を相殺することで素材の味を引き出そうとする和食ではよく使われる手法だが、他の料理にまで無制限に適用する意味はないはずだ。貧弱な火力でデレデレ調理する家庭料理なら、焦がす心配もなく少しずつ味を組み立てていく余裕綽々の調味が可能というもの。味覇なんぞは中途半端に気取った客に合わせて、やる気ゼロの中途半端なプロが手を抜くために使うもので、素人が手を出すものじゃない。予め合わせておくと云う発想にはレトルト・パウチや“~の素”に通ずる安直な厭らしさすら感じる。もっとも、昨今はどうやらそういった加工製品の味が標準としての地位を得てリファレンス化しているようで、結果的に、自らの志と需要の狭間で悩み絶望する料理人はさぞかし多いことだろうが、まぁ、第一次、第二次、第三次を問わず、生産に従事する業界はどこもそんなものだ。


2009/05/04 作成__2009/05/04 最終更新