彼岸

彼岸だというのに暑苦しく鬱陶しい日が続く。新米が遅い「笹錦」のつなぎに今年も「房乙女」10kg。粘度の高い米はあまり食べないが、ただ単にイメージ戦略に負けたともいう。早速賞味。さすがに新米だけあって艶々しておる。香りも突き抜けたものは感じないが、まぁ、及第点だろう。

下手の横好き

今は昔、私が育った在郷では海苔巻とは干瓢巻を指していた。他に鉄火巻、河童巻、穴キュウ、紐キュウあたりまでが定番で、かつてはオボロ巻、玉子巻なんていうのもあったが最近はまず見かけない。比較的新しいメニューである葱トロ、トロ拓などは今でも悪趣味として置かないところも多い。大衆店になると新香巻、梅紫蘇巻、牛蒡巻、(邪道というか外道だけど)納豆巻を置いている店もある。一方、遠い昔の行事など晴れの日の定番だった太巻は鮨屋では扱わず、今ではスーパーの惣菜、稀に団子屋、巻物屋で目にするが、基本はご家庭でたすき掛けの奥さんがきゅきゅっと巻くものと決まっていた(のかな?)。

元々、海苔巻は鮨を摘んだ後の口直し、片手で食える簡便なお茶受けであって、一口で食べれるというのが握り鮨と同じく基本的な原則。したがって、ご飯というよりはバァちゃんに連れられての芝居見物の往き帰り、団子屋で稲荷と干瓢巻を頼んで竹の折りに包み、きゅっと縛ってくれたものをぶら下げて、オヤツ代わりに摘むというのが懐かしくも遠い幼少期の思い出。当時はTakeaway保存食として酢飯はきちんと酢の匂いがして、省線に乗ると木床のワトコオイルに入り混じってプ~ンと匂い立ったものだ。甘辛く煮た揚げや干瓢の甘味と酢飯の酸っぱさが最善のバランスを作り上げていたように思う。

海苔巻

海苔は一枚の半分。焼いてパリッとしたものを。最近は染色しているのかな? やたら黒いけれどちっとも風味が伴わないモノが多いので、色よりも目のつまり具合や香りを重視して選んでいます。近くに栽培漁師や海苔問屋が多いので、それなりの品質のものがそれなりの値段で手に入るのはありがたい。冬なら湊の店頭で生海苔も普通に売っている。酢飯はササニシキを10%減水して昆布を敷いて炊く。3合の炊き上がりに、酢(米酢メインで適当に合わせる)90~120cc。砂糖20~30g、塩7.5~10gくらい(目分量だけど)が最近の好み。米の炊け具合を見て微調整。この分量だと出来上がりにほとんど甘味は感じず、酢がしっかりと香り立つ。酢を合わせたら団扇で扇ぎ、人肌になるまで冷ます。

苦節1年。生まれて二回目に作った海苔巻きは相変わらず難しい。駄目駄目。こう、なんだ? ぴしっと一本通ったような潔さみたいなものが欠けているんだな。滲んでいるのもなんか許せないし。巻簾に置いた海苔に酢飯を薄く均一に塗広げ、具を入れすぎない、具の味付けはしっかりとぐらいが取敢えずかたちにするための方策だが、総じてまだまだ向上の余地がありすぎる。理想は海苔と具の間に米粒2列であろう。また、干瓢の質、山葵の量なんぞも構成要素がシンプルなだけに配慮の手を抜けない。特に干瓢は腰の有無でベツモノというほど大きく食感が変わってしまう。更に、酢飯が駄目。口に入ったときの歯触りというか米粒のかたちが違うのだな。家庭用の米だと水を10%控えめに炊いても柔らかくなりすぎるようにも思う。もうちょい水を吸わない安い米のほうがいいのかな? 試行錯誤はまだまだ続く。

秋魚二題

以下では生、または生に近い青魚を扱っています。万人向けの安全性が担保されているわけではないことにご注意ください。

サバ

今時流行らない魚の代名詞といえば、やはり下魚中の下魚、鯖だろうか。周囲には人家一つない場末スーパーの凡そ演出などとは無縁に荒んだ魚売り場。その片隅で脚光を浴びることもなく投げやりに海水氷漬け。手の掛かる処理を一切施されず、売れ残ったら焼魚弁当にでもされるはずの普通の千葉産マサバ。軽く50cm。掴む⇒重い⇒滑る⇒ボッチャンと水没x3。重くてトングで掴めない。えぇい面倒だと周囲に主婦がいないことを確認し手を突っ込む。三浦の松輪鯖なんぞとは異なり、基本は人の口に入るというよりも肥料になったり養殖魚の餌になる魚である。もちろん、一尾298円以下じゃないと買わない。安いので粉飾ブランド化してボッタくるには格好の食材でもあることだろう。生と締め、両方握る鮨屋も増えてきたが、秋口とはいえパンパンに肥えているので、こいつは締めたほうがよさそうだ。

鯖

捌いたら産卵前で、同時に買った気仙沼の秋刀魚なんぞよりはるかにしっかりした内臓で、比較にならぬほど鮮度がよかった。この時点で少しでも臭ったら煮るか焼くかに転用した方が良いだろう。生臭い鯖を食べる趣向はない。頭を落とし腹を割いて腸を掻き出す。身が柔らかいので普通のステンレス文化包丁でも難なく下ろせる。腹腔を手早くかつ丁寧に水洗し、水気を完全に拭き取ったら三枚に下ろし、アニーちゃんが宿っていないか目を皿にしつつ、腹骨は血合を残さぬようケチらずに斜めざっくりと大胆に引いて落とす。

下ろし

中骨は生姜と酒、塩で潮汁に、卵や白子は煮付けや焼き物、頭やアラは味噌煮にすればよい。身はバットに並べ、両面に白くなるまでたっぷりの塩を振り、1時間強冷蔵庫で締める。身が柔らかいので締めすぎと思えるほど締めたほうがよい。締め上がったら流水で手早く塩を流し、キッチンペーパーで水分を拭き取る。鯖に本醸造純米酢は似合わないので、こだわりの欠片もないただの量産米酢(大手製アル添促成品)をダバダバ。余計なものは入れない。酢締めは冷蔵庫で30分ちょい。表面が白くなる程度。残った中骨を骨抜きで抜き、皮をぺりぺり手で剥いて、キッチンペーパーに包んで一晩冷蔵庫で寝かす。酢のきつさが和らいで馴染む。

切れない包丁で7mmほどに斜め削ぎ切り。厚さは重要。鮮明なマゼンタと身肉の透明感は決して譲れない最低限の一線。しっとりとした味わいで、口の中で身肉は蕩け甘味と旨味が広がる。皮目の歯触り、身肉の舌触り、締め加減もちょうど良かった。初夏に漬けた生姜を添えているが、それはディスプレイ。普通に山葵で食ったほうが遙かに旨い。酒との相性も抜群にして豊穣、というか酒+肴=食。見た目は別として、味は鮨屋のモノにも負けないと自負するが、毎回同じ塩梅にできるわけではないあたりは所詮素人だと認識している。まぐれを喜ぶもの。

しめ鯖

余りの酢飯でバッテラのようなものにしてみた。本来は塩鯖(塩鯖を使うのは断面が丸い鯖寿司かな?)を使うらしいが、うちの辺りでは入手できないようだ。鯖寿司は近在の鮨屋でも扱わないネタなので手っ取り早いリファレンスがなく、デパ地下名店もの(=保存性重視? でとにかく甘すぎ)や昔あちこちで食った記憶(=あいまい)を元に再構成しているので、板昆布も揃わず以下はかなり適当。

鯖寿司1

ということで、締め上げた鯖をラップを敷いた木枠に逆さまに敷いて、上から酢飯を盛って蓋でぐぐいと加圧するだけ。押し過ぎは飯が硬く重くねちっこくなるので、男の力なら超~手ェ抜き過ぎぐらいが好み。ちょっと冷やした方が型が馴染み、切りやすい。初めて作ってみたが、こりゃ、海苔巻よりも遙かに簡単(笑)。さっぱり過ぎず、くど過ぎず、酢が香るようにきりりと端正に仕上げる。こだわりとは無縁ゆえ、手近にあるものだけで作れば半身使用で原価200円もあれば25cm、1.5~2人前ができる。と、良い事尽くめではあるが、“所詮、鯖は鯖”だよん(笑)。同じネタを続けて三つも四つも食うのはちょっと興醒めにして無理難題というものだろう。

鯖寿司2

一般的には板昆布を乗せるが、その場合は酢飯の酢を押えて甘くしないとバランスが悪い。飯を甘くすると、昆布と酢飯の旨味が勝ち過ぎて鯖の味が負けるから、鯖も脂乗りの強いものを使わねばならないだろう。純粋の大阪寿司にするのはそれはそれで趣あるもので比類なきものだが、あの板昆布はどう味付けするのだろうね? 一方、甘酢生姜や大葉、味付け椎茸を挟んだり、柑橘絞ったり、表面を炙ったりというのは好き好きだが、魚の中でもかなり主張が強い鯖と酢飯のバランスだけで、十分な旨味は確保されていると思う。いろいろなものを組み合わせ、付加して味を調えるのではなく、余分なものを如何に引いていくか――ということに面白味を感じている。

サンマ

同じく海水氷漬け、気仙沼水揚げ、鱗なし、一尾77円。一見して鮮度は悪そうだが刺身用(笑)と称して、たかが秋刀魚のくせにいい値段である。3匹を刺身、残りは翌日塩焼にでもしようかという心積もり。鯖よりもいっそう柔らかいので捌くのは簡単。腸がぐったりして予想通り鮮度は悪く苦い腸状態。身は手で皮を剥いてぶつ切り。臭くはないが脂がくどい。本来はけっこう繊細な身肉の味が脂に覆われてしまう。器に積み上げている段階で早くも食欲を失う。意欲も失ったので杜撰に賽の河原積みにしたら崩れて余計うんざり。

テンコ盛り秋刀魚

2、3枚食えばもういいわ。酢で締めるか味噌漬けにでもしてみるか。飯のおかずは生姜醤油に漬けて骨煎餅にした中骨でOK。やっぱり秋刀魚を秋刀魚として味わうには7月に食うもんだ。鯖が鯖でしかない以上に、秋刀魚は秋刀魚でしかなかった。


2008/09/21 作成__2008/09/22 最終更新