真夏の夜の夢

干瓢巻を頼んで最後の冷酒を呷る。眼前で見事な流れ技が演じられ、刃渡り25cmの柳刃が軽やかにリズムを刻んだ。と、思いきや、鮨職人が目にも留まらぬ早業でできたばかりの巻物をゴミ箱に叩き込んだ。こっちは唖然としているのだが、職人は極めて平静に、ビデオのリプレイを見るように何一つ変わらぬ所作で巻簾を広げ、海苔を敷く。酢飯を薄く広く載せ、指にとった山葵をたっぷりと塗り広げた。どうやら、山葵を入れ忘れたらしい。

資本主義末期の落とし子であるWASPユダヤ連合ファンドが席巻する嵐に紛れ、食い潰した赤字を棒引きにしようという巧妙なインフレ誘導策が実効を挙げている。“安価なものには毒がある”という子供にもわかるキャッチフレーズが効を奏し、スタグフ傾斜が現実のものになり、理論としてだけ存在したはずの現象を体験できるなんて後世から観れば歴史に残る壮挙かもしれない(笑)。食い物の値段が2倍、3倍になったところで、予め不満の捌け口は封じられているというタイミングは昨今稀にみる単純扇動の成功例ともいえよう。もっとも実質的な可処分所得は減少の一途を辿っているので、大半の人間にとっては好ましからぬ状態のはずなのだが、どんなに痛めつけられても衆院選の頃には忘れてるという構造はここ数十年に渡って(百数十年か)続く歴代世襲王朝のルーチンワークにして美徳といえるだろう。合掌。

麻婆

17年使ったコンロを入れ替えたら飯がうまくなった。さっそく麻婆豆腐とか炒飯とか。

穴子丼

近在の穴子が安価に出回っている。鰻はまずい時期だが穴子は旬である。小柴と違ってブランドではないが、一応湾内産100gほどのものが100~150円/匹で普通に買える。世間には高価な穴子というものもあるようだが、下魚中の下魚である穴子なんぞに金をかけるのは酔狂でしかないことは敢えて書くまでもなく自明。活きでも背開きしたものでもよいが大き過ぎず小さ過ぎず、中程度のものが扱いやすくかつおいしい。昨今ではうっかり外で穴子丼なんぞを頼むと、蒲焼鰻丼の劣化ヴァージョンだったり、刻み穴子に玉子や胡瓜、絹鞘等余計な具材を加えたヒツマブシ風が供されたりして著しく凹むものである。鰻と穴子は扱う側にとっては性格が大きく異なる魚であり、食べる側にとってもまったく別の料理であるはずだが、今や鰻を模したような、お手軽で誤魔化しの利く濃い甘ダレを塗りたくった焼き穴子に席巻されて、手間の掛かる煮穴子が食えない(刻み穴子から焼き、煮穴子まであらゆる品種をカバーする産業用冷凍輸入品を除く)のがすっかり当たり前になってしまった。

概ね穴子には風土や目的に応じて、焼いただけ、焼いたものを煮る、蒸したものを焼く、あるいは軽く煮たものを焼くといった手法があるが、鮨の場合は煮たものを軽く炙るか、直前にさっと煮上げ、詰めか塩でというのが海抜2mの当地では一般的である。個人的に鰻や穴子は歯応えをまったく感じなくなるまで徹底的に手を入れるのが性に合う…のだが、これを自分でやるのがまた難しい。なぜ鮨屋の穴子のように蕩けるほどふわふわにならないのか? 試行錯誤を繰り返すも、何か根本が違うのではないかと長らく考えていた。鮨屋の穴子は色が薄く、型崩れしそうなぎりぎりの段階で踏みとどまって、なおかつ口に入れればふわりと溶ける。ということで手法改善。いつものあんちゃんに教わってきた。

まずは下処理。貰ってきた頭や骨は軽く焼いて酒と醤油で軽く煮立て出汁をとり、そのまま詰めにする。なければ“蒲焼のタレ”を素にして調整すればよい。背開きの身は胸びれを落とし湯霜。俎板に皮を上に並べ熱湯を掛け流す。皮目が白く浮いたら氷水にとって締める。包丁で浮いたぬめりを丁寧にこそげ落とし水洗、身側の腹膜や汚れ、目立つ骨もとる。高級店では皮の黒い部分や腹びれをすっかりこそぐこともある。

ここから煮込み。1本のまま大きめの鍋で、水と安く匂いの薄い純米酒(味醂不可)を同量で合わせ煮立てたもので30分ほど水煮する。もったいないが、ひたひたではなくてたっぷりの酒で煮込むことが肝要。浮いた脂や灰汁は丁寧にすくって捨てる。
この時点で、既に箸でつかむと身が崩れるほど穴子は柔らかくなっているはず。更に、砂糖を入れて20分、醤油を入れて更に15分、穴子が浮くようなら落し蓋をして極弱火で煮込む。砂糖も醤油も薄いかな? と思うくらいでOK。穴子の淡白さを生かすため決して甘辛くしてはいけない。それをゆっくり冷まし、最低15分ほど煮汁の味を染み込ませる。煮込み加減は醤油で身肉が淡く染まる程度でよい。醤油で煮る時間を短くしないと身が固くなるし、茶色くなってしまうと興醒めである。冷却時間を利用して、詰めに煮汁の一部と醤油と味醂を増量し、さっぱり辛めに調味して灰汁をとりながら僅かにとろみがつく程度に煮詰めておく。詰めは味を付けるものではなく、穴子の味を引き出すものである。

穴子丼

握りにする場合は下味がついたら煮汁からあげて、更に冷蔵庫で身を締めるそうだ。ただし、一定の時間で固くなり醤油の香りが飛ぶので、最適の状態のものを常備するのは不可能で、煮上がりのタイミングによって出せる穴子の味にはけっこう差が出るらしい。早過ぎる時間帯ならば穴子は“まだ”だし、遅いと“終わっちゃった”というパターンはこうして生成されるわけだ。握れる程度に型崩れせず、尚且つふわふわの身肉には見えない努力が凝縮されていたということか。ちなみに、店によって多少差はあるが、ごく一般的な手法で秘伝(笑)でも企業秘密でもなんでもないらしく、鮨屋では概ね新人の仕事に分類されるらしい。なんだ、もっと早く訊いておけばよかった。

煮込む時間は目安であって、穴子の大きさや脂のり等で変動する。モノを見て調整できる人をプロというが、けっこういい加減でも煮穴子は何とかなる(ような気がする)。慎重にすくい上げた穴子は適当な大きさに切るまでもなくぶちぶち切れてしまうが、炊き立ての温かいササニシキに乗せ適度に詰めを廻しかける。薬味はなくともよいが、苦味が欲しいときは山椒の葉を刻むか、飯が酢飯なら山葵を下ろしてもよい。鰻と違って脂がさっぱりしているから、玉子や海苔をあしらったり、蒲焼風の異様に濃甘く粘度の高いツメで誤魔化す必要はない。ふっくらと煮上がり、僅かな甘味と醤油の香味をまとった穴子は噛まずとも口の中で蕩けていく。箸で掴むのが難しいから飯と一緒に掻き込む。丼ものの醍醐味だろう。


2008/07/06 作成__2008/07/06 最終更新