神無月記-(2007/11/10-12/09)

1;諸々

怠慢をこいているとすぐ翌月の締め切りが過ぎてしまう。忙しいのか暇なのか自分でもよくわからない。

騙し騙し使っていた老人用PCがとうとう起動しなくなった。ブートHDDのバッドクラスターで延々と修復を繰り返す。10年以上前に結構な値段で購入した2GBのHDDであったが、そろそろ寿命のようである。何とかしろと言われたが、今や箱を開けるのすら面倒臭い>以前利用したことのある組み立て屋さんのWebを開く>省スペース・省機能PCを探す>基本3.88万で要不要を適度にカスタマイズ+送料無料でポチッと>見積確認メールが来る>クレジット入力>購入Tnxメール+組み立て人から着手メール。ということでお手軽。後は野となれ山となれ。

東景

CDは勝手に鳴っているが、DVDは観ていないモノが溜まってしまったのでしばし打ち止め。意欲がないわけではないが懐古音源はちっとも進まないし、動作電圧が低下して身体の末端がうまく機能していないのではないかと思われるこのごろ。

■ここに至って心を去来する由無しごと

■電車周りの事情

普段、公共交通機関に無縁な生活を続けていると、電車やバスの乗り方、切符の買い方や清算の仕方がわからなくて困る。いつの間にやら新しい路線や乗換えが増えて戸惑うこともあれば、所要時間が変わっていて驚くこともある。

普段は時間を規定されたくないので指定なんぞ取らないが、仕事ならば仕方があるまい。かといって窓口に並ぶのも嫌なのでJREの駅ネットを利用してみた。制約は若干あるものの(ACDE席と車両中間か両端の指定はできる)概ね希望の席は手に入る。後日、いつ見ても誰も使っていない高機能券売機で発券を受ければスピーディかつ領収書も出るし、たった300円だが割引価格になるのも、まぁ、合理的といえよう。たまたま目的地が合致した駅ネットでしか買えない乗車券込みで2割引きという不人気列車の乗車率改善サービスはラッキーだった。付き合いじゃなければ往復利用できたのにな。支払いもカード払い、現金不要ですこぶる使い勝手がよい。使用に応じて溜まるポイントは西瓜に転用できるそうだが私のは残念ながらPASMO。もっとも、ピタピタやってるといろんなモノが瞬時に買えるのは便利この上ないが、購買感覚が失われていくというか、抵抗感が薄れるのは事業者の思う壺にして困ったものだ。デポジットを召し上げたうえ、プリペイドなのに一切割引がないという独占企業ならではの傲慢さにも賛同しているわけではないので念のため。

■いただく+頂く+戴く

口語でも慇懃に蔓延中だが、食い物系の文章で昨今氾濫しているこの動詞がどうしても気になる。「ポン酢と紅葉おろしで食べる」を「ポン酢と紅葉おろしでいただく」というやつね。主に「食べる」という動詞の言い換えとして使っている例が多いようだが、そこに含まれる微妙な気取りにムズムズしてしまう。歴史的にeatの意味で最も古くからある言葉は、「食う(くらう⇒くう)」だが、その言葉の響きを嫌った女子供言葉として「食べる」という丁寧語が用いられるようになったと聞く。ただし、「食べる」はあくまでも自立能動的な表現であって、他者の存在を前提としない。一方で、「いただく」は本来「貰う」の謙譲語であって、食べるという特定の自己能動行為とは直接関係がないし、相手という概念があって初めて成立する言い回しのはず。つまり、本来意味の違う言葉を更に敬語化して代用しているわけで、そこに「いただきま~す」という成句を単純に拡大解釈しているだけとは思えない気色の悪さが潜んでいるように思う。もちろん、他者に作って貰った料理を拝謁して、平伏して「いただく」ことは何ら問題ない。だが、自分で作った料理を自分で“いただいたり”、店などで正当な対価を払って供された食い物を“いただく”などと、敢えて丁寧語として表現するのは何故だろう? もちろん“天の恵み”を“いただいている”という慎み深い精神性と宗教感を育んでいる場合もあるのかもしれないが、ほとんどは単に山の手のザアマスおばさん(死語)の言葉使いの延長にしか聞こえないのだが。まぁ、余計なお世話だな。

あるいは、まぁ、日本人の特性として自立的、自主的な実行行為を明示せずに、まるで他人がしたことのようにぼかしたいという意図もあるのかもしれないが、物事の本質を蔑ろにする言い換えには何らかの思惑が秘められているものだ。そのうち“メシも食えなくなる”んだろうな?

■粉もの三題

◇粉山葵

うちのようなロウアー・クラスだと山葵を常備するのは大変難しい。伊豆カメヤ謹製のチューブ入り練り山葵はまともだが概ね味の割には高過ぎる。おまけにチューブ入り練りワサは使っているうちにだんだんと香りと辛味が跳ぶんだな。そこで下層民の味方、粉山葵である。よくある業務用松印、テーオー食品(株)製350g。ほとんどの練り山葵と同じく、(ほとんどの)粉山葵もホースラディッシュ等紛い物の原料を使い、本ワサに似せた偽物であるが、辛さ、匂い、そして量的にある程度の満足は得られるのではないかと考えている。生魚以外にも、蕎麦や蒲鉾、海苔巻き、湯葉、豆腐、アボガドなんぞには必ず添える薬味である。本ワサだったら下ろしたものでちびちび酒が呑めるくらいだ。適度な量を器にとってシャカシャカ水で練るだけ。涙が出るほど辛く匂い立つ山葵が出来上がる。問題はけちけちしないで使っても全然減らないことだ(笑)。どうすんだこれ?

コナモノ

◇粉辛子

和辛子もけっこう使うので、やはりチューブ入りでは価値価格比が悪過ぎる。こちらは千代田製100g。カナダ産の辛子種を挽いたものにヴィタミンCとターメリックが添加されたものらしい。山葵と同じくぬるま湯で溶いてシャカシャカ練る。昔懐かしい食卓の光景ではないか。辛味、香りともにチューブとは比較にならない。おまけに嘘のように安いから心置きなくてんこ盛りで使える。おでんなんぞに使えば、フホォーと声が出るくらい突き抜けた味わいになるぞ(笑)。シウマイ、辛子味噌和え、やきそば、マスタード代わりにしてもいける。いわゆるチューブ入りの薬味は、どうも本来の味と異なる操作が施されていて、その安直かつお子様向けで稚拙な味わいに我慢がならなかったので、こうして冷蔵庫からチューブ入り製品が一掃されたことは大変喜ばしい。

◇働く主夫のみーとそーす・すぱげってぃー

働く主夫は忙しくて買い物になんかいっていられない。そこで、くれるものは何でも貰う。冷凍庫の底から発掘されたステーキ肉やらスネ肉、モモ肉計1kgの払い下げ。解凍後、くんくん匂いを嗅いで、その他全てには目を瞑る。賞味期限なんか知るかい(笑)。煮込めばOK。そこで、日本人なら食べたことがない人はいないはず、給食の必須メニューでもあったスパゲッティーに最適ではないか。今でもフォークとスプーンでクルクルしてるのか?

肉塊を1~2cm角程度に荒く削いで包丁で軽く叩く。オリーブ油で強火、途中で大蒜を加え、肉の旨味を引き出すためにきっちり炒め、ソフリット(玉葱3:人参1:セロリ1.5、おまけでパセリ茎)と500ccの赤葡萄酒(メルロー:残り220ccは製作途上に喪失)、月桂樹の葉5枚、シナモン一欠けで1時間煮込む。トマト缶x2、塩、胡椒で味付けし、一煮立ち後一晩寝かす。働く主夫はお手軽がモットー。保存料、鶏肉、豚肉、完熟トマト、砂糖、乳糖、小麦粉、酵母エキス、植物油脂、旨味調味料(アミノ酸)、着色料、香料、酸味料、甘味料、増粘剤、コーンスターチ、固形スープ、ケチャップ、粉チーズの類はすべて割愛。

タッリャテッレ

働く主夫は手作りに見える加工食品が大好き。高価な国産スパゲッティーもモチモチの生パスタもうっとおしいだけなので、今回はタッリャテッレ乾麺を使用。1822年創業スピガドッロという聞いたこともない田舎メーカーの“おうちのパスタ、伝統の味”シリーズ、卵のタッリャテッレ、507番、茹で時間5分、250gである。イタリア人なら二人分(の前菜)だろうが、全部茹でたら、凄い量。大昔、新橋の会社の裏の洋食屋の二階で食ったどう見ても馬用だろう、飼葉桶大盛ナポリタンに匹敵する量だ。参った。

ボロニェーゼ

たっぷりのバターとミートソースに細かく下ろしたパルミジャーノ・レッジャーノを合せ、岩塩で引き締め。アルデンテのタッリャテッレをねっちょりと和えて器にもっこり盛り付ける。おお。縦横比が逆だが肉が多過ぎて崩れない。何も加えず何も引かない(ああ~嘘つき、ポルチーニがなかった。余計にも絹鞘入れちゃった)。昔懐かしいミートソース・スパゲッティーの完成である。最初は赤いが、だんだん鮮明さを失ってあのミートソース色に近づく。肉、また肉。なんて野蛮な料理なんだ。やんややんやの大団円。働く主夫は簡単、節約、ラクチン以外を認めない。余ったところで冷凍してもおいしくはならないので、3,4日ほど火入れと冷却を繰り返しとっとと消費しちまいましょう。麺は飽きるので、もっぱらスプーンですくって肉ソースだけ食べてます。チーズとバターを入れなければ、けっこうサッパリしてる(笑)。

■海鮮二題

■鱸の真子+白子

モノが高くて買えない。年末だからって便乗しすぎだぞ、コラ。アラに興味はないし、身は高くて買う気がしないから、冷蔵ケースといえども目は素通りするが、隅のほうに一つだけ置かれた得体の知れぬパックに吸い寄せられた。表示は鱸(スズキ)とだけ。これじゃ、売れないだろう? 担当者よ。まぁ、見た感じのグロさから内臓、内臓なら肝か卵だろうて…としわしわとのっぺりの大きさ、形状を勘案するに真子と白子であろうと類推した。それぞれ二葉に分かれた一匹分。380円。まぁ、なんとかなるだろうと即決購入。夜、下調理。

小鉢

軽く水洗して、形を崩さぬよう塩小匙1、沸騰した湯で1分ほど湯掻いて水分を切る。上質の濃口醤油、味醂、酒に夏さんが丹精込めて生産した中国産生姜(名前、顔写真入りだぞ。笑)の皮とともに漬け込み冷蔵一晩。翌晩、食べる分(1/8に該当)だけ取り出して冷たいうちに包丁でスライス。絹鞘を敷き、針生姜と匂い付けに柚子を併せてみた。付け合せは何でもかんでも柑橘を絞るのは好みではないし、煮付け自体に臭みがあるわけではないので単に彩りのためである。真子に残る若干の苦味が弾け具合と合わさって濃厚な旨味を際立たせる。白子はマッタリとした蕩け具合が最高の酒の肴。ご飯のオカズにも良い。

■鮟鱇肝+血鯛

成果

調子に乗って買い過ぎた。血鯛は酢で締めてカスゴに、黒鯛、スミイカはそのまま刺身、紫貽貝は葡萄酒で蒸し焼き、中国産鮟鱇肝は当然アン肝になる。この大きさになると近在の魚屋に常磐ものが出回ることはまずないので重宝する。鮟鱇も最近は稀に刺身でも食えそうなモノが並んでいるが、茨城・福島産はけっこう値が張る。鮟鱇鍋は家ではやらないのでもっぱら買うのは肝だけ、買えるのは中国産だけ(笑)。昨今は中国産と常磐産の味の区別がつく粋な通人ばかりなので、こういったものがこっそり売れ残っていて大変喜ばしい。

酒漬

さっと水洗いし汚れを落とし、ステンレスザルに入れ両面に強く塩を振り、冷蔵庫で1時間ほど置く。水洗で塩を落とし、酒で洗いながら血管や薄皮、筋などを指で取り除く。ラップを広げ、肝をデロっと横たえて漬け汁の酒を少々振り、海苔巻きの要領でくるりと巻き上げる。端部を輪ゴム止め。蒸し器に湯を張り、中火で15分ほど蒸し上げる。常温まで冷まし冷蔵。翌日、薄くスライスしたアン肝をポン酢醤油、辛味大根の紅葉おろし、青葱微塵切りで舌に乗せる。ゆるりと溶けゆく滋味を酒で味わう。オレンジ色の華が散ったように見える部分は肝脂。多いほどおいしいとされる。付け合せはスミイカ。

ラップ

ポン酢醤油は自家製3年熟成もの。以前どこかに書いた。もう駄目だろ、そろそろ黴てるだろと毎回蓋を開けるたびに思うのだが、まだ使える…どころか年々角が取れておいしくなる。滅多に使うあてもないからなかなか減らなかったが、そろそろお終いが見えてきたので、今度は二軒隣に大量に貰った柚子で増量しようかと考えているところ。柚子で作ったらポン酢じゃなくて柚子醤油になるんかいな? お、柚子ジャムにしようかな。唐突に思いついた。

あんきも

血鯛は丁寧に鱗を落として三枚おろし。皮は引かず両面に塩を振り10分~30分ほど置く。軽く酢洗いして塩を落とし、皮目を下にして並べ酢で締める。身肉の大きさ、質によるが5分~20分ほど。長く持たせる場合は押し気味に。生っぽい柔らかさを失わない程度で酢を切って、冷蔵一日。味が馴染んだほうがおいしい。強く酢で締めておぼろ(でんぶ)を作って添えれば完璧だろうが、そこまでするかい。

春日子塩振り

■今月の鮨ネタ

冬の風物詩、赤海鼠(アカナマコ)がおいしい。コリコリした食感と清冽な磯の味が命。酢の物もよいが、軍艦に載せて紅葉おろしと青葱、煮切りで食うと酢飯と素晴らしいバランス。これがあるからやめられない。海鼠は海鼠腸(コノワタ)、クチコ、バクライと酒の友、珍味の元でもあるな。冬の鮨はネタがとにかく豊富。ソイにニベ、クエに虎河豚の白身、霜降り鰆、今冬は量が揚がるのか平目もはずれがない。縁側も豊富で絶好調のようだ。

◇仙台篇

ずいぶんとご無沙汰。久々の駅前付近は全国チェーンのクルクル寿司と観光客御用達が巾を利かせているというのはどこでも同じ。道を歩けば牛タンにあたるのに比して、笹蒲鉾と最中の廃れっぷりには隔世の感があるか。いいのかなぁ? こういう方向性で。

それほど寒くはないが足の底から冷気が伝わる地上100mとか地下12mとか。足が棒になって果てたところで昼メシ。地べたを歩く虫に戻って市場通りのような中を抜けていくが、丸々太ったホッキや赤貝、平目、鯖も見事な鮮度でかつ嘘のように安い。その先にあった小さな鮨屋。L型のカウンターだが10人は座れないだろう。ちょうど満席になった。つけ場に立つのはオヤジが二人。

白身はきりっとした平目昆布締めだが、浅く締めた昆布の旨味が平目の豊かな味わいを殺していない加減が素晴らしい。質良い平目が安価に手に入ればこういうやり方もあるのだな。締鯖はやはり軽い締め具合が脂の旨味を引立てる金華鯖。鮑も良かったが煮蛸はかつてはどこでも食えたはずの懐かしい真蛸。徹底的に揉み込まれ、丁寧に隠し包丁の入った身肉はスミイカとともに、すっかり様変わりしてしまった昨今の味覚を考えさせてくれるものであった。鮪は鉢鮪と本鮪の集積地、塩竃や気仙沼を控えるせいもあるのか、さっぱり目の熟成で透き通るような食感の後に、ほのかな酸味と身肉の香り、旨味が一気に際立つ。

オヤジは朴訥な感じ。「戸井の鮪です」と言った以外、産地に関する御託も口上も一切ないが食えばモノはわかる。煮切りだけで食べてみてくれと手早く刷毛で塗る。恐ろしく薄味で邪魔をしない煮切りだが、逆に誤魔化しは効かないだろう。頃合を見計らって炙り穴子が出て、椀に口直しの果物まで付いて追加でいくつか頼もうと思っていたのに商売っ気がない。シャリはちょっと大きめだが昼飯仕様かもしれない。けっこう腹が膨れた。ササニシキときちんと酸味が出た酢の香りが心地良い。山葵は本ワサ。値段は、まぁ、普段の感覚からすれば、最上級とは言わないが質、量ともに「この値段でここまで食える」のなら満足であった。地域差によるものだろう。鮮度命の刺身オニギリにならないセンスも気に入った。今度は呑みに行くぞ。

全然気が乗らないが付き合いで、腹が膨れぬよう用心して軽く牛タン。入るや否や「全部喫煙席ですがよろしいですか?」と訊かれたときには目が点になったわ。帰りの間際に夜食。一人なので心置きなく志向と嗜好に走った好きなものが食える。とりあえず牡蠣を剥いてもらい、酒。こちらは純正統派というよりは半分くらいは観光客の相手もしているといった趣。握りに変えて箸を使わずにいると、それに合わせて握り具合を変えてくるところなど、なかなか気が廻る。まずは目に留まったカワハギと蝦蛄爪軍艦。「蝦蛄爪詰めなしで」って妙な言い回しで、??と正面に立った職人と顔を見合わせて思わず笑ってしまった。せっかくだから近在ではあまり見ない葡萄海老、閖上赤貝を十分に堪能し、鯖、穴子と流すが、初めて食ったどんこの肝乗せには感服した。青森や三陸で揚がる見栄えの悪い安い魚だが、アイナメに近い蕩け加減と鮟鱇に負けない肝が絶品。良い意味で味覚の巾が少し広がった気がする。う~ん、また少し、あちこちを巡ろうか。

◇地元篇

うむむ。近在の停車場付近は元々商業地ではないせいか、あらゆる意味でまともな飲食店がなくて困り果てるこのごろ。微妙にすっきりした店構えとあちゃーな客層に嫌な予感を憶えながら、カウンターに座るとこれ見よがしに置かれたランチ・メニューを見て予感が現実のものになった。うわぁ、やっちまった! と引き摺ってきた老人の責任を激しく問いたいが本人は涼しい顔で“私は貝尽くしだから”。は? どういう意味だよ? セットものに燦然と輝く紅色はあのサーモンであろうか、穴子は味が想像できそうな煮穴子の一本付け。目を正面に戻せば、概ね種類別に美しく整理整頓されたネタケースは食欲を減退させる解凍ネタと色薄い海外ネタのオンパレード。見ただけで中身は判断できるし、酢の匂い一つしないつけ場はシャリの味まで想像させてくれる。最近増えているチェーン・ファミレス寿司、あるいは廻らない回転寿司ともいうタイプの飲食店である。

有無を言わさずお茶を出され、お好みで選ぶのも嫌気が差して、当たり障りの少なそうなセットものを頼む。まるで染めたような紫ピンクの味のない赤身、薬臭い蝦蛄、塩辛いイクラ軍艦に、海栗に至っては普通の握りの半分くらいのミニサイズでほっとしたくらいだ。メソッコ穴子は冷たい煮穴子にカラメルで着色した異様に甘い詰めをべっとりと垂らしたもの。煮上がりなら炙る必要はないが、冷たい穴子をそのまま出されたのは初めて。玉子はもちろん出来合いだが、心底空しくなって追加したタイ産加工済み解凍キスの昆布ちらしを酢飯に載せただけの「キス昆布締め」と目の前で巻いていた概ね中国産“赤貝のようなもの”の「ひもきゅう」はまぁまぁ。胡瓜がおいしかったです、はい。ちなみに7年ぶりくらいに食べたノルウェー産トラウトサーモンは、鱒寿司用の端切れの如く全然脂が乗っていないペラペラの「粗悪品」で個人的には食えたほうかな(笑)。


2007/12/17 作成__2007/12/17 最終更新