本の話19

買ってはいるが読むのが全然追いつかない。読んではいるが書くのが全然追いつかない。買う>読む>書くという行為の末端にいくほど絞れていく現象は、そのままその人間の能力を表しているのだろう。おほほ。

『花のレクイエム』 辻邦生+山本容子(銅版画)著

新潮文庫 ISBN4-10-106811-9 2003年1月1日

初めて辻邦生を読んだのは中学に入った頃だった。家にあった『春の戴冠』だったと記憶している。上下分冊箱入上製。長大で内容は決してとっつきやすいものではなかったが、読み始めてしまえば明解な展開と緻密な構成、優れた日本語感覚に時間を忘れて読み耽った記憶がある。初期の『回廊にて』『夏の砦』のように、地味なテーマでも深い読後感と惹き込まれたら逃れられない繊細な魅力に溢れたストーリィテラーでもある。

12ヶ月を各々一つの花に託し象徴的モチーフに据えた12のリリカル・ショートショートに彩色銅版画を組み合わせたメディア・ミクス。製作は相互に独自に行われたようで、結果的に花の色が食い違っていたりするが、それは些細な問題だろう。香気溢れる簡潔で明晰な文体が作り出すリズムが気持ち良い。削りに削った短さで表現される世界の豊穣さは群を抜いている。

福永武彦の系譜に繋がる日本を代表する最後の正統的な文学者といっても過言ではないだろう。1999年死去の故人。まぁ、今の人が読む本ではないのだろうが、そのうち100篇に渡る壮大な連作『ある生涯の七つの場所:「霧の聖マリ」「夏の海の色」「雷鳴の聞こえる午後」「雪崩のくる日」「雨季の終り」「国境の白い山」「椎の木のほとり」「神々の愛でし海」』についても書いてみたい。

雫

『心のなかの冷たい何か』 若竹七海著

創元推理文庫 ISBN4-488-41702-7 2005年12月22日 初版

初出は1991年。浮かれまくった世相のなか。昨年末、ようやく文庫化された二作目にあたる初期の作。若竹というより毒竹だな。暗い。暗すぎる。大概のことには驚かないが、この拭っても拭いきれない暗さ、底流のように流れる冷え冷えする暗さにはまいった。エロもグロも劇的な展開も悲痛な悲劇もなにもない。起こるというほどのことは何も起こらない。それなのに、うへぇ~早く忘れたいという読後感だけが残る。誰一人として感情移入の出来ない、冷たく突き放した嫌な奴ばっかり。張り巡らされた伏線と多層構造でありながら構想は破綻して(させて)いるのだが、ミステリィとしての第一部が終わり、氷の意思で突き進むディテクテヴ・ストーリィである第二部が始まると……あぁ、やられた。

紆余曲折と苦渋の末ではあるにしても、おそらく手に入れないほうがよかった一つの結果が一つのクリスマスプレゼントになっているという意味で、摘みなしでシャブリを飲んでいる気分に浸れる。

凌霄花

『白光』 連城三紀彦著

朝日新聞社 ISBN4-02-257721-5 2002年3月1日初版

真夏、ノウゼンカズラ(凌霄花)、白光。白と黒のコントラストの狭間に咲き誇る強烈なヴァーミリオンが閉じた瞼に焼きつくような峻烈。このところ初期を髣髴とさせるミステリィに還って来た連城三紀彦の近作。図と地の反転により鮮やかにアクロバットを決める“売り”もバリエーションが増え、今作は登場人物たちの微妙な認識の差、思惑に伴う事実の歪曲による視点のズレを通じて、ありふれた現代の家庭で起きた一つの事件の真実と壊れていくかたちを描き出そうとしたもの。此彼の区別が曖昧になりつつある痴呆老人からその孫娘まで、微妙に位相のずれた“真実”が重ね合わされて、限られた登場人物たちの成したことと成さなかったことが少しづつ白日の下に曝け出されていくわけだが、通奏低音のように拭っても拭いきれないおぞましさが浮かび上がる筆致は、まさに連城以外には書けない超絶技巧の職人芸だろう。

目くるめく変化と変転を経て、何が起きたのか? という問いに対するそれらしき答えと解釈が提示されたあと。暗澹たる寂寞に打ちのめされつつ、もういいだろうとめくったラスト1ページの衝撃はあらゆる意味で救いがない。思わず本を投げ出したくなった。


2006/11/07 作成