本の話18

もう少し充実させていきたいと考えているが、どうも好みの矛先は内容をうっかり記述できない系統の本が多くて困る。

『正倉院の矢』 赤江瀑著

文春文庫 ISBN4-16-728503-7 1986年6月25日 初版

伝統美術への造詣と日本的な情緒、死生観が色濃く反映された70年代中期の作品集。「正倉院の矢」「シーボルトの洋燈」「蜥蜴殺しのヴィナス」「京の毒・陶の変」「堕天使の羽の戦ぎ」の全5編。主として短編に多くの才を発揮し、他にも本集に勝るとも劣らない極めて物語性の高い絢爛豪華な諸作があるが、一篇あたり僅か50ページほどに凝縮された情動を揺さぶる刹那と絶望、それが故の美とその美に溺れ取り込まれていく運命は目くるめく情景をフラッシュバックのように脳裏に焼き付ける。

モチーフとして登場するいくつかの小道具、すなわち、矢、ランプ、蜥蜴、火、カオリンといったものに導かれ、憑かれ、獲り込まれていった人間の運命はギリシャ悲劇のように端正で救いがない。表題作「正倉院の矢」の二の句が告げない絶句状態、やりきれない真相にも悪意は介在しない。それ故に尚更、辛く、強烈なマイナスイメージを放ちながらも、紛うことなき美に彩られた狂おしさをここまで鮮烈に表現できたのだろう。

初読は作中の主人公が遭遇し、同じような悩みを抱えていたかもしれない青かった頃。自分自身の真夏のイメージの原点でもあり、立原正秋の諸作と共に自らの美意識の形成に鮮烈な色彩感と深刻な影響を与えたことは間違いないだろう。滅多にないことだが個人的に熱烈なファンである。というか憑かれてしまって逃れられない。阿片のようだ。入手が大変なのでとっとと全集出してくださいよ。

『春泥歌』 赤江瀑著

講談社文庫 ISBN4-06-184704-X 1990年6月15日 初版

せっかくだからもう一冊いってみようか。79年から83年にかけて初出のやはり短編集。「春泥歌」「砂の眠り」「春眠」「オオマツヨイクサよ」「春の寵児」「朝の廊下」「平家の桜」「耳飾る風」「虚空の馬」「金襴抄」の計10篇。こちらは年月に塗り込められてきた人間の情念と狂気を鮮やかに、甘美な毒を込めて描き出した掌編。視覚的なイメージを髣髴とさせる表現と、選び抜かれた言葉で構成された文章が紡ぎだすイメージは豊潤にして妖しい。

些細な誤謬が引き起こした夢に囚われて、裏切られていく「春泥歌」の暗い情念、最後の数ページで総毛立つように図と地が反転する「金襴抄」。狂気の因果応酬と死の床に掲げられた目くるめく絢爛には言葉がない。
ホラーでもない、ミステリィでもない、もちろん純文学でもないという狭間であるが故か、 泉鏡花>中井英夫>赤江瀑と続いた系譜もいよいよ断絶か。既に孤高の境地に達してしまった赤江に続くものは影も見えない。

『水上音楽堂の冒険』 若竹七海著

東京創元社 ISBN4-488-01260-4 1992年5月20日 初版

若竹七海、初期の第三作。舞台は高校の音楽堂、主人公は三人組の高校生、タイトル、カバーを鑑みても、よくある青春ミステリィか……という予測をことごとく外すというか、わざとミス・ディレクションしているとしか思えない若竹七海の自家薬籠中の18番。劇的なイベントはもちろん、起伏らしい起伏もなく淡々と物語は進んでいくが、若干消化不良気味な全体構成が目くらましに成りつつも、終章のカタストロフ(という表現は相応しくないが)に向けて突き進む。心理的記憶障害者が記憶を取り戻したとき、すべてが白日の下に晒されるというパターンはありがちだが、もう二捻りぐらい利いているあたりが、どうしようもない後味の悪さに繋がっているのだろう。グロやエキセントリックな表現を一切用いない、品の良さとクールな描写でここまでの情感を醸し出せる筆力は特筆に価する。

「心の暖かい人は、手が冷たいのよ」
9割ほど読み進めると遭遇する、主人公の一人の台詞だが、ラストの夕暮れの湯島に踏み出す何も知らない“残された者”に痛切なまでの哀惜を禁じえない。


2006/06/12 作成