霜月記-(2005/12/02-12/30)

1;諸々

銀座のアジアン料理店で宴会 味餡とは何か? という疑問を常々持っていたのでこれは良い機会だと勢い勇んで出張ってみたら、たいして旨くもないただの東南アジア料理の店だった。まぁ、日本語の名詞にanをつけると形容詞になるらしいというのは一つ勉強になったのでプラス。照明が薄暗くて食い物が旨く見えないのはマイナス点。足元が暗いのはもっとマイナス。危ないじゃないか。

自己嫌悪を肴に何故か軽めの赤葡萄酒と海老春巻き、ドライカレー、トムヤンクンなどという無茶苦茶な取り合わせに挑戦し、人を舐めきった辛さ(いや、だから、辛くないという意味)に辟易しながらあまりの相性の悪さに笑いが止まらない。いや、白も試したんだが砂糖入りの葡萄ジュースみたいで飲めなかった。

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■ここに至って心を去来する由無しごと

駅北のはずれ。学生の頃に何度も辿ったはずの道筋は完全に様変わりしてかつての面影は微塵もない。目指した立ち食い鮨は少しだけ整備された道路に面し、通りの南側に立ち塞がる建物の陰でひっそりと閉まっていた。市場がやっていないのだから当たり前といえば当たり前。しょうがないから駅まで戻って座れる鮨屋で長居した。
シャリは砂糖抜きで温かさもOKだが、ネタがちょっと冷たいな。室温を落として冷蔵ケースの温度を上げれば良いんでないの? まぁ、回転悪い日は下げざるを得ないのかもしれないが。ヒットはメジマグロ。普通のマグロよりも白っぽく赤身がないが、正々堂々、本マグロの幼魚である。きちんとトロもあってあっさり目の脂乗りが生臭くなくてちょうど良い。普段、海老蟹は滅多に食べないが、珍しく車海老があったので所望した。身は握り、頭と殻は目の前で塩焼きにして添えてくれた。

かつての垢抜けない港町もいまや再開発真っ盛り。うねっていた路地もいかがわしいネオンも区画整理され、拡幅され、けばけばしい舗石と雑誌から抜け出してきたようなブロンズの街燈が立ち並ぶ。鉄道は取敢えず上りだけ高架になって、カンカンと鄙びた音を立てていた踏み切りも様変わりした。びっしりと隙間なく建て込んでいた木造二階家の商店はガラスと金属の事務所ビルとなって屹立し、高層マンションが今様のステイタスを澱みなく主張する。駅頭の狭い路地にアサリや海苔、サザエや佃煮を並べ赤銅色に焼けた顔で物売りしていたお婆たちもすっかり姿を消した。

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おそらくこの姿は、かつて望んだように、学生らしい潔癖さで物事をシステマティックに整理したかった理想に近いものなのかもしれない。町は清潔で健全な郊外都市の玄関口として生まれ変わり、人の流れも変わり歩く人の風体も煤けた灰色から明るい色彩に様変わりした。立飲み屋台で飲んだ暮れるオヤジもいないし、相手かまわず店内に連れ込もうとする尖った呼び込みあんちゃんも、身体の前後に広告をぶら下げた見ているほうが悲しくなるようなサンドイッチマンも、身を持ち崩し飲食店の裏でバケツを漁る乞食もすっかり姿を消した。

そんな街を今は立ち止まることもなく足早にただ素通りする。安っぽいスチールとペラペラのアルミとガラスで構成されて、タイルと取敢えず表層だけの花崗岩が二液変性シリコンでシールされ、無収縮モルタルの台座に4-M16アンカーボルトで固定された瀟洒な街燈のメタルハライドと高演色ハロゲン灯の饗宴。すべての有機物を洗い流し、滅菌処理されて、意図不明な横文字が氾濫する典型的な日本の街の出来上がり。

■Construction time again

ともかく世の中にはいろいろな建物がある、ということにつきる。自分でできることは自分でする。自分で出来ないことは信頼できる人に頼む。突き詰めてしまえばそれだけのことだ。何をもって信頼に足るとするか、何を自らの信頼の礎とするかは個々人が何を培ってきたかに拠るだろう。
「住宅の品質確保の促進等に関する法律」に基づく性能評価などというものもあるので、犬の血統書とか宝石の鑑定書に深い充足感が得られる人は集めたら良いだろう。造れば馬鹿みたいに儲かるから乱造して売っている商品に、おだてられ、くすぐられ、夢や未来を託せる状態にまで舞い上がらせるその的確にして素人の抗し切れない弱みを突いた販売戦略は傍から見ていて感動的ですらある。売れるものが本物ならばそれはそれでよい。

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もういっそのこと、分譲重層長屋は都市計画法と建築基準法の適用対象外にした方が良いのではないか? 特定業界の利益のためにぐちゃぐちゃにされて凡そ法としての一貫性を完全に失った建築基準法も元のようにすっきりするだろう。税金ぶっこんで、さっさと幕引きして、人口減が顕著になる前に、どんどん好きにやりたいように造って満足のゆくまで売りまくれば良いと思う。ただし、そういった世界とはきちんと棲み分けを図ることが大事だ。あとは野となれ山となれ。せっせと30年後、50年後のスラムと廃墟を築くために今の繁栄に酔えばよいではないか。

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実際、低層から超高層までマージン差っ引かれて末端で滅茶苦茶な要求に四苦八苦しながらもしこしこ納期に追われて計算して図面を描いているのは孫請けの更に下請けの零細構造屋さんだったりするわけで、こういう人たちにももう少し光があたって、その労苦が世間並みの半分でいいから評価されると良いのだがねぇ……真面目にやればやるほど馬鹿をみて、中途半端な知識を振り回すものの結局は中身そっちのけで見てくれと価格だけに飛びつく世間様にゃ認知すらされない業態だから。

■夢の跡

打合せが夕方だと「軽く行きましょうか」などと言いつつ、結局11時過ぎの馬鹿みたいに混んでいる電車に乗る羽目になったりするものだが、最近は覚醒度最低の数十分をこのもみくちゃにされて前後左右に揺られてる時間にドンピシャで合せられるのでちっとも苦にならない。むしろ歌えそうなほど気持が良いぞ。歌わないけど。

昼の打合せのときは時間を惜しんでかき込んだりするのは性に合わないので、終ってから時間を気にしないで食したい。というか昼酒したいんだな。ということで平日昼酒のメッカ(古臭い表現だな、気に入った)といえば蕎麦屋か鮨屋だ。注文から出てくるまでがとにかく早い。ビール(は今一合わないし税金高いから……)にするか酒にするかは気温と湿度、天気で決める。

山

というわけで、このところは鮨に目がない。高くなくて腹一杯食え、かつおいしい店(分はわきまえているつもり)が増えたこともあるし、横文字の面倒臭いメニューを眺めなくて済むし、言葉が通じないジャパニーズと意志の疎通を図らなくともよいし、騒々しくなくて、一人でも客扱いが変わらないのが良い。もちろん通でも江戸っ子でも粋でもないから、食う順番がどうたらとか〆は巻物だとか玉子だとか一切気にしないし、箸があれば箸で食うし、手首回転アクロバットでネタに醤油つけるのも面倒だし、醤油つけたくらいでシャリが崩れるのは握り方に問題があるのだろうし、他人の趣向に口を出すつもりはまったくないが、純粋に美意識の問題であるわけで、手の美しい女性がさり気なくつまんで食すのは絵になると思うが、そこの無粋な粋男! おまえの手食いは見たくない。

時節を考えれば平目は脂がのって蕩けそうにおいしい時期だ。大分の山の上で養殖している平目は知らない。冬だというのに関鯖はあまり出ないみたいで半身の皮を剥ぐところから期待を抱かせる。う~ん、冬の関鯖、ピンクとシルバーの取り合わせ、蕩ける甘味が絶品なの。やはり鮨は一人で気ままに、食いたいものを食いたいだけ食うのが良いなぁ。

鳥

2;サーバごっこ機 いまだPlamo Linux 2.0改-0.18GHz不眠不休号

取敢えず春までもてばいいかと今年は止めもせず掃除もせずメンテもせずと。Plamoも既に4.2ぐらいになっていて、こりゃ、インスコ含めてもう一回勉強しないと扱えなくなっている悪寒。

3;スキャナ機 Plamo Linux 3.2 p5-0.166GHzまんせえ!号

モニターのRGBのBがたまに出ていない。画面が黄色いがスキャンはできるから、まぁ、いいかと。RとGのケーブル引っこ抜けば白黒になるのかな? 今度やってみよう。

4;Win機 NT5.0 sp4 セレロン300@450x2で枯木灘

99年くらいから使っているからそろそろ6年。元取れたかな。当時と同じなのはガワだけだけど。

Doom

「「眩暈がしないようにそろそろやるかな。新しいWADを捜索中」と書いてそのまま。」と書いてそのまま。


2006/01/04 作成