“春は霞”といったのは誰だったか。清少納言は“春はあけぼの”だったか。もちろん“夜は朧(おぼろ)”である。
今月もネタがない。桜はまだ咲いていないし、花粉は飛んでいるし駄文を書き連ねるのも心苦しいし恥ずかしいものだ。
ようやく表紙絵を改訂。本来ならば一季に二枚くらい(二ヶ月で一枚)のペースが望ましいと考えているのだが出来た例がない。絵というほどのものではないが、忙しいなりに眠る時間を削っても描くことは面白いなぁ、と思う。多分描いている時間よりも何を描こうか考えている時間の方がずっと長いのだが、描いているうちに思いつきでどんどん変わるし、デジタルだと適当に使い回しができてしまうから最初の思惑はあまりあてにならない。表紙絵ということで内容に制約もあるから、いざ載せようとして気が変わった没絵も実はけっこうある。Web用としてかなり小さくするのでディテールがみんな潰れてしまうのも辛いというかつまらない。
昔見た映画が格安DVDになって投売りしていたので、懐かしくて三本ほどまとめ買い。う~む、どうもこの頃の購入動機は“懐かしいから”というものばっかり。そのうち数が溜まったら映画のレビューでもしようか。タイトルは「どっぷりと回顧に浸かるモータル・マイノリティのためのフィルム・ガイド」かな。もちろん今思いついただけで、そんな余力があるのか? な?
バーベット・シュローダーの1969年、ルクセンブルク+ドイツ(配給がフランス?)映画。台詞はフランス語。ストーリーというか内容は他愛のないものだが、ファーマー(Mimsy Farmer)は微かな遠い記憶よりもずっと可愛くて新鮮だった。無国籍な感覚とイビサ島の光と闇。ピンク・フロイドのアルバムにも使われている風車のシーンもすっかり忘れていただけあって感慨深い。
ロベール・アンリコの1968年作、フランス映画。端的にいえば文芸映画。これといって刺激的なシーンも展開もない。今の人が見たら10分もたないかもしれないなぁ。映像はとても美しい。耽美とスュルレアリスムの狭間。印象的なシーンの連続でラストの緑に萌える廃墟は喩えようがないくらい美しい。もちろんシムカス(Joanna Shimkus)も美しい。
これもアンリコ+シムカスによるその前年の作。最初に見たのは30年以上前という時代を感じさせる内容ではあるが、これまた展開よりも映像美で見させてしまう撮影が素晴らしい。しかしながら、多分、人間の魅力だけでも十分もってしまうだろうという不思議な映画でもあった。どうしよもなく虚しい結末は予想の範囲内だが、箸ですき焼き食ってるアラン・ドロン、意味はないけど仁義を尽くす元パイロット、干潟で貝拾いをしている坊主が印象的だ。惜しみなく役者を退場させていく演出も呆気に取られる。ラストの上空カットバックにかぶさるフランソワ・ドゥ・ルーベの音楽もこれまた見事。ちなみにgooの粗筋は無茶苦茶。
取敢えず、内容に深く立ち入らない範囲でさらっと書いてみた。冬の間、枯らさぬように水を遣った成果が出て少し嬉しいな。
阿。う~む、元気だ。
吽。う~む、ちゃんと動いてしまう。
無心の日々。働け働け。減価償却はとっくに済んでいる気もするが壊れないな。
Scythe、6面くらいで挫折中。というかやる暇ないです。