本の話17

一年半ぶりとはまた間が空いたものだ。

『石川忠久 中西進の漢詩歓談』 石川忠久・中西進著

大修館書店 ISBN4-469-23230-0 2004年6月20日 初版2刷

今は昔、杜甫の五言絶句にノックアウトされて以来、まぁ、人には敢えて言わないが、漢詩という表現形態にはある種の憧れと美的な羨望を常に抱き続けて来た。その後、是非とも音読みがしたくて、危うく一外仏語、二外中国語などという暴挙に出そうになったことすらあるくらいだ。今思えば絶好の機会を逃したと忸怩たる思いに囚われることもないではない。そんなわけで、今どき本屋ではまずお目に掛かれないタイトルを冠したB6サイズくらいのソフトカバーに思わず手が伸びてしまった。

杜甫、李白、陶淵明、孟浩然、杜牧、白楽天、王維ら、唐代の作品に焦点をあて、対談形式で解釈を試みるというもの。平易でスピーディな解釈は牽強付会に思える言質も無きにしも非ずではあるが、豊かな知識と素養に裏付けされた解釈は新たな感慨をもたらす。取り上げられる作例もマイナー過ぎず嫌味がない。

陶淵明は「飲酒 二十首 其五」で「采菊東籬下 悠然見南山」と詠んで、東の離れで取った菊を杯に浮かべ南山を見やり、一方、花の下で酒壷を抱え一人「挙杯邀明月 対影成三人」と杯を掲げ明月を迎えた李白は、月と影と自分の三人になったと「月下独酌」で詠った。
唐詩とは切っても切れない酒の詩もこの歳になればすんなりと心に響く。今の季節なら縁側や露台に座して、夜風に吹かれ月を眺めながら静かに呑むのもすぐれて趣あるものだ。

『世にも美しい数学入門』 藤原正彦・小川洋子著

ちくまプリマー新書 ISBN4-480-68711-4 2005年5月20日 初版六刷

新書の名前からして厭な予感がしたが、予想通り。プリマーってprimerでプライマーのことかいな。筑摩書房という立派な名前があるのにわざわざひらがな化しているあたり、読者を愚弄しているとしか思えないが、そうでもないの? 昔のブルーバックスの方が遥かにましだわ。更にページを開いてみれば、p{line-height:200%;}というか行間一行空け、要するに一ページに普通の半分以下の文字しか収容しないというフォーマットのようだ。総ページ数は倍になるが、昨今は新書にまでライト化の波が押し寄せてきたのか。まぁ、売上を見ればそうせざるを得ないのが現実といわれりゃ、そりゃそうだ。

中身に関しても買う前から後悔しそうだと思っていた通り。主として整数論における数学的美学を中心にした芥川賞作家と数学者の対談のようなもの。論旨はそれなりに明解。美しい文章、美しい映像、絵といったものとまったく同じように、数学もまた美しいという語り尽くされてきた事実を、具体的な事例を元に検証するもの。うん、でも、まぁ、オイラーだっけ、確かに eπi = -1 なんてのは感動ものだよなぁ。

お手軽感を醸し出すために数学以外の話を盛り込むのは勝手だが、特定の主義主張に基づいた特有の価値基準の開陳には辟易させられた。

『スクランブル』 若竹七海著

集英社文庫 ISBN44-08-747216-7 C0193 2000年7月25日 一刷

夏見ちゃんかわいいよ夏見ちゃん。久々に面白かったミステリィ。5年に渡る積読状態から発掘したもの。連作短編という形で書かれたようだが実質は長編です。女子高で起きた迷宮入り事件を15年後にその関係者たちが回想しつつ真相に辿りつくという形式。平明ではありながらもかなり凝った構成で、視点を変えながらひとつの像を作り上げてゆく様はそれなりにスリリングで楽しめた。六人の主人公の書き分けが今一つ不分明だが、同性だからこそ可能な各人に対する細やかな愛情とディテール、決してエキセントリックに特徴付けをしない奥ゆかしさが感じられてむしろ好感であった。似たようなキャラクターを数回のフィードバックで憶えられたところをみると、筆力はなかなかのものだ。地味ではあるがユーモアのセンスもあるし、文章もきっちりとして曖昧さがなくて読みやすい。この著者、過激な描写や派手な売りはないが、往々にして淡々と後味が悪い結末を用意してくれる。今回も身構えていたのだが、ラストはちょっと気持ち良いほどに清々しい。

さて、夏見ちゃんであるが近作『死んでも治らない』にも再登場する。おそらく30代くらいの設定で脇役扱いではあるが、相変わらずかわいい。こちらもそのうち気が向いたら取り上げてみよう。


2005/10/02 作成