本の話16

読んでいないというわけではなくて。

『底無沼』 角田喜久雄著

出版芸術社 ISBN4-88293-186-9 平成12年5月25日

角田喜久雄(1906-1994)の短編ミステリィ集。デビューは十代で、1960年ごろを境に以前がミステリィ、以後はミステリィ仕立ての時代小説で一世を風靡した。今風に云えばホラー色もかなり入っているが、乱歩や横溝とは湿度が違うドライで突き放したような感覚が特徴かもしれない。現在いくつかの短編集や選集が入手可能だが、けっこう重複していて困るのだなぁ。

時節柄、貧困の暗さを背景にした作品が多いのだが、登場人物はおおむね近代的で合理的な思考を忘れない。情念に突き動かされるだけでなく、明解で常識的な視点が存在することがある種の救いにもなっている。ミステリィとホラーの二作を二重螺旋のように絡めた「下水道」、トリッキィな「笛吹けば人が死ぬ」、陰惨な悪意が漂う「恐ろしき貞女」等々、倒叙でありながらいつのまにか主役が入れ替わってしまうような気持ちの悪さが見事です。ほんの数十ページの中で繰り広げられる、どんでん返しに次ぐどんでん返しは正に小説の醍醐味だ。

『朝霧』 北村薫著

東京創元社 ISBN4-488-41305-6 平成16年4月9日 初版

女子大生シリーズの続編。全三篇の初出は95、96、97年の現在のところ最新刊。後半ではとうとう社会人になるのだが、更に続編がでるのだろうか? 出るという話だったらしいが未だに噂すら聞かないな。次は避けて通れない部分がありそうで難しい、とは誰もが思う終わり方。個人的には多分続編は書かれないと思う。あるいは前作から20年とか(あと11年?)インターバルをとるか、主人公の年齢にインターバルをとって中略なんていう手法もあるか。難しいからではなくて、なんだろう、作者も読者も心の深い部分で『私』を封印したがっているような気がする一方で、『私』が誰なのかという疑問に答えを出すことでやっと終われるみたいな複雑怪奇な心情に陥ってしまう。

全三篇ですが、呈示される謎は以前のものに比べかなり難易度が上がった印象がある。語られる落語の内容とのリンクが密接になったと云うべきか。個人的にはロジックよりも透明な抒情感みたいなものに惹かれる。

『陶淵明 - 中國詩人選集4』 一海知義注

岩波書店 昭和33年5月20日 ISBN無し

生365-没427というからゲルマン民族大移動のころでもあり、弥生が終わって倭になったころか。食うために晋朝の公務員になるも、41歳で県令(知事の旧称)の職をうっちゃって故郷に帰ったらしい。その後は隠居して晴耕雨読、多くの詩はその晩年に詠まれたもの。

道喪向千載
人人惜其情
有酒不肯飲
但顧世間名
所以貴我身
豈不在一生
一生復能幾
倏如流電驚
鼎鼎百年内
持此欲何成
 
(注;五言律詩だけど横書きです)

この世を司る道理が失われてもはや千年になろうとしている
今は誰もが心情を惜しんで表に出さないようになってしまった
酒があっても飲もうとせずに
ただ世間の評判ばかりを気にしている
自分の身をかわいく思う理由は
現に自分が今生きているということにあるのだろう
しかしその一生はどれほどのものだろう
稲妻が走るほどの短い時間なのではないか
とうとうと流れていくその一生に
他人の評判を気にして何をやり遂げようというのだ

冒頭、「道」は所謂道教の「道(タオ)」であり、ここでは“道理”としているが本来はそういう意味としての概念ではないらしい。どのみち、1600年も前の人にこんなこと言われたんじゃ、もう飲むしかないなぁ。


2004/06/15 作成