本の話15

読む端から内容を忘れていくこの頃。いかんな。

『きのうの空』 志水辰夫著

新潮社 新潮文庫 ISBN4-10-134516-3 平成15年6月1日発行

一応、文庫だと最新作品集になるのだろう。短編ですが長編とは違った良い味が出ています。内容はあとがきにもある通り、戦後から現在に至る自伝的戦後史を市井の人間に仮託して描いたものなのだが、小説の醍醐味を堪能できる一冊です。著者がちょうど私にとっても親の世代にあたることが、周期的にリンクした位相のようにきれいに繰り返された親近感を煽るのかもしれない。実際、1950年から70年にかけての20年間は今の20年とは違ったゆったりとした時間が流れていたような気がする。

「短夜」「イーッ!」の少年の気持ち、「夜汽車」「男親」あたりのやるせなさも切ないものがあるが、やはり、ラストの「里の秋」が秀逸です。鮮烈な叙情と敢えてはぐらかすような淡白さの交錯がこの著者なりの歳の重ね方なのだろうか。物語の横糸にあたる要素を増やすことによって、ふっきり方の寂しさが一層際立つようにも思う。二読、三読すると、堪えていたものがどんどん奥から滲み出てくるような感情の深みに引き摺り込まれてしまう。

『悉皆屋康吉』 舟橋聖一著

文藝春秋社 文春文庫 ISBN4-16-753602-1 1998年1月10日発行

久々に一気読みしました。巧い。おもしろい。簡潔な文体と場面転換の速さが小気味良いほどだ。悉皆屋と書いて「しっかいや」と読みます。昭和40年くらいまではごく普通にあった商売らしいですが、正直私自身、記憶の片隅に微かに引っ掛かる程度で何のことやらさっぱり状態でした。今風に云えば「服のコーディネーター」といったところでしょうが、新柄の考案から染色までエンドユーザに最も近い位置で、「衣」を取り仕切っていた職業だったのでしょう。今では呉服屋(も見なくなったけれど)に取り込まれたと考えればよいのでしょうかね。

ここで目を開かせられたのは、着物は何度も同じ布地を再利用、再生して着るものであると同時に、自前の文化として堂々と市井の人々の中に根付いていたということ。「衣食住」という人間の基本的な欲求と機能が、完全に他人任せになってしまった現代においては、その誇り高さが憧れてしまうほど羨ましい。その一方で変わらないのは、夫婦の在りかたと女のしたたかさ。簡潔で嫌味のない心理描写の表現には熟達した旨みがあります。戦中に逐次発表されて昭和20年にまとめて一冊の本になったらしいですが、ラストの2・26事件前夜と思われるシーンの描写は正に圧倒的です。

舟橋聖一もそれなりの作家だと思っていましたが、今や文庫になって残っているのはこの一冊のみ。もちろん本屋に並んではいないのでネット買いです。解説が泡坂妻夫というのがなんとも泣かせる配慮です。

『妖盗S79号』 泡坂妻夫著

文藝春秋社 文春文庫 ISBN4-16-737804-3 1990年6月10日発行

「ようとうエスしちゅじゅうくごう」と読みます。こだわってますな。再読ですが、かなり印象が新たになる部分がありました。かなり長期に渡って、断続的に発表されてきたらしく連作短編でありながらも少しづつ微妙に雰囲気が異なっています。ラストではそれなりに時代状況に即した落ちが用意されているのだが、最初から狙っていたのかはちょっと疑問。プロットの良さは毎度のことながら、基本はギャグタッチ、しかしながら、タイトルの通り何ともいえない妖しさが全編に漂う。これといった描写は全くないのだが、濃密なまとわりつくような感覚が不思議だ。本業が紋章上絵師(奇術師か?)だというのも関連するのだろうが、隙のない細密な耽美は独特である。

実はこの作家との付き合いは、海外の古典もの、国内の耽美系古典、および当時全盛だった社会派をほぼ一通り読み終わったときにひょっこりと遭遇したのだった。『乱れからくり』の妖しさにぞっこん惚れ込んだことから始まるわけで、繊細でテクニカルでありながら騙し絵のような位相のずれた世界が魅力的だ。

あっちこっち目移りはするけれど、結局、帰るところは泡坂か連城三紀彦あたりなのだなぁ。直木賞作家である連城あたりが食えなくて実家で兼業で坊さんしてるとか聞くと、凄い世の中になったものだねと暗澹たる気分に浸れますね。


2003/11/29 作成