本の話11

忙しいときは何故か本を読む量が増える。一見不合理なようだが、思い起こしてみるとそうでもないことに気づいた。まとまって他のことをする時間が取れなくなることは事実だが、人間息抜は必要だ。食後の30分とか電車の20分だの、寝起きで15分等普段は敢えて何もしていない時間を充当すると、実際時間があるときよりも量をこなしちゃったりするのである。読むこと自体は時間と場所を選ばないのだが、唯一、相性が悪いのは車である。読みながら運転するのは常識的に無理としても、運転してなくても揺れるし暗いし、露骨に嫌な顔されるし、およそ読書に適している環境ではない。車でスキーに行くことによってCDが売れた時代はあった。でも、昔のように長時間電車に乗ったりはしないのだなぁ、もう。漫画を含めて、本が売れないと嘆く出版関係者はその辺りの相関を考慮しても良いかもしれない。現在の価値観の方向付けからみて、車に乗る人が相対的に減ることはないから斜陽化が進むことは避けられないってことだね。

「月の裏側」 恩田陸著

幻冬舎 ISBN-434-440262-6

特に入れ込んでいるわけではないのだが、なぜか文庫になると買っている恩田陸ですが今月は少し集中したな。非常に巧い人なんで、一定の安定感というか安心感を持って読めますね。一方で、読みやすいけど物足りないなという感がなくもない。でもこの軽さが「人気=売れる」秘訣だってのは良くわかっております。現実は吹けば飛ぶように軽いのだから、非現実は果てしなく重厚長大でも全然平気なのだがな。で、「Dark side of the moon」である。思いっきり同世代を予感させてしまう“のり”であるが、内容は特に関係はないです。強いて言えば異質なものも根っこは同じとか。梅雨期の柳川は知らないが、非常に湿っぽく、“水々しい”雰囲気は、気色悪いというよりもむしろ親密なのだな。主人公の女性がかつて抱いた思慕のようにとても懐かしいもの。そしていまでも変わっていないことを思い起こされるように、再構成と再認識が再生なのだな。元ネタのSFは昔読んだけれど、変化を受容した側で締めるところは正に日本的なんだろうな。落ちできちんとけりをつけないことも相変わらずというか、もう慣れた。個人的には、結末は良きにつけ悪しきにつけクリアなものが好みなのだが、やり過ぎると現実味に乏しくなるからこのくらいが良いのか。

「木曜組曲」 恩田陸著

徳間書店 ISBN4-19-981759-0

映画化だって、プ。今回の3冊のなかではいちばん“らしい”本ではあるか。登場人物限定のミステリィ風室内劇。5人のキャラが特異過ぎてマンガチックなきらいはあるもののわかりやすいとは思う。誰を記述者にするかで先が読めてしまう部分は仕方がないとしても、どうも謎が謎としての魅力を放っていないというか、どうでもよいように思えてしまうのだな。結論はメタ・ミステリィのように内側へ内側へと自壊していくわけだが、めくってもめくっても出てくるものは質的に同じで、まどろっこしい。榎木津風に言えば「そんなことに30分以上かけたら寝てしまう!」だと思うのだが、私、デリカシィに欠けてるみたいですね。

「Puzzle」 恩田陸著

祥伝社 ISBN4-396-32809-5

短編を中編と称して売ってしまおうという企画のようです。値段は400円で統一、フォントの大きさ、行間の間抜けさ等なかなか前代未聞のシリーズで激萎え。ちなみに一ページ当たり13行x35文字(max455字)で、上の「木曜組曲」だと17行x40文字、同じ文藝春秋の1977刊のものは18行x43(max774字)文字でした。東京創元社だと1999刊で19行x43文字ってのもあるな。もちろん各社それなりの戦略があるんだろうが、売る方のことも買う方のことも考えたくないな。おまけに最近、古いのから4冊ほどづつをまとめて800円ほどで一冊にまとめたのが出たみたい。なんじゃ?それは。

わかりやすくて読みやすい。でも短過ぎて漫画のストーリィみたい。もっとも『小夜子』もそうだから取りたてて言うほどのことでもないのだろう。ラストの肩透かしは予想がついたから平気。モデルはかの有名な長崎の軍艦島ですね。産業の曙時代に生まれ育った私にとっては思い出深いものがありますね。迷路のように高密な島とその地下へ、あるいは周囲の海底へ深く遠く張り巡らされた坑道をパノラマチックに図解する図鑑を見ながらひたすら興奮したものです。

「まほろ市の殺人 秋」 麻耶雄嵩著

祥伝社 ISBN4-396-33048-0

同じく同上シリーズ。麻耶雄嵩は個人的に別格なのでこういうのも買うのだ。だから春夏冬は買ってはいない。連作ってわけじゃないんでしょ、多分。やたらと細かい地図までついているのだが別になくても平気、ほとんど関係ないし。麻耶雄嵩にしては圧倒的な読みやすさ。う~ん、このシリーズってジュブナイルなのかな。中身は起承転結も明確だし落ちも良いところはさすが。トリックまで少年少女向けで笑えます。なんだか内容どうこうよりも主人公の奥さんの人物造詣に惚れてしまったな。個人的にこういう奥さん好きです。

「笑ってジグソー、殺してパズル」 平石貴樹著

東京創元社 ISBN4-488-42002-8

シリーズ・キャラみたいですが、まだこれしか入手していない。探偵役の女の子が若い割には雄弁で、現実味には著しく欠けるけど「アハハッ」って笑うのはとてもよい。しかし「アハハッ」の彼女が解く謎がまた古いんだな。横溝正史の時代じゃないんだから「たえこ」ちゃんも「しのぶ」ちゃんももういないんだよ。動機は無視する新機軸なんだから謎にも新機軸が欲しいし、それを彼女が「アハハッ」って解いて、「あれ、解けちゃった、アハハッ」って笑うと可愛いぞ。しかし、ふくらはぎしか見えないんでもう少しきちんと仔細に描写して欲しいものです。アハハッ。(ぢゃなくてハァハァか)

「くっすん大黒」 町田康著

文藝春秋社 ISBN4-16-765301-X

「くっすん大黒」と「河原のアパラ」の二篇からなる短編集。ヘドロに亀に臓物の焼肉に鮒の屍骸と醜悪で生臭あ~いのだが、妙に神経質で潔癖ですがすがしい。真実もインチキも芸術も大黒もみんな同じ現実でないの、というところでしょうか。主人公の特異さは上っ面だけコーティングしたような環境のなかで、より一層異彩を放つのだが、実は至極自然な人間をまっとうに描いているだけなのだな。それが異様に見えるということが、既に本末転倒しているということだろう。基本的には一種の落語なんでしょうか、非現実に逃避しないで笑いで勝負しようとする姿勢が潔い。

「昭和恋々」 山本夏彦・久世光彦

文藝春秋社 ISBN4-16-735215-X

あらあら、山本夏彦さんお亡くなりになったようですね。雑誌『室内』を発行してる工作社の社長さんでしたか。『室内』のコラムもそれなりに楽しく読んでいたんで残念なことです。写真を見ると80%以上は実際見たことがあるのだが、そのどれもいまはないというのは、ちょっと怖い気がするな。

先日昔あったあれはどうしたのじゃと親に尋ねてみたら、

と、まぁ、惨憺たる結果に終わった。

いま身の廻りにあるものや習慣で30年後にも残っているものはなんだろう。捨てなければ朽ちていくだけだろうが、どれもいらなそうなものばっかりだな。

「赤緑黒白」 森博嗣著

講談社 ISBN4-06-182271-3

どうしようか非常に迷ったけど、最後だから書いてみるなり。S&Mもそうだがどうもシリーズラストは良くないなり。一つ前は良いなり。最早、(読者は)誰も事件の内容なんか興味ないのかもしれないけれど、それはないなり。みえみえなり。おいおい、まさか○○が××の△△で、動機は□□だったら怒るなり~と思ったらその通りだったなり。悲しかったなり。ミステリィとして初めて買った人はもっと困るなり。読後壁に投げつけた本(3冊目)に載せるしかないなり。と思ったらDAT落ちしてるなり。朕はそういう期待はしてないので大丈夫なり。紫子ちゃんかわいそうなり。祝儀袋は良いとしてもラストの○○はあまりに不自然なり。2chなんか相手にしないで当初の予定通りにすれば良かったなり。名大(医)が名前が読めないなんて可笑しいなり。なりなりウゼェなり。もう寝るなり。


2002/10/28 作成