本の話8

「六枚のとんかつ」 蘇部健一著

講談社文庫 ISBN4-06-273127-4

切って捨てる評がここまで多い本も珍しい。新書版は読んでいなくてこれが初読ですが完全に構えて読んでしまったので、今ひとつ感慨が薄かったかな。逆説的だが、これに賞を与えて売り出した講談社のセンスとパワーは凄いな。結局のところ、なんだかんだ言いながらも皆買って読んでいるんじゃない。そういう意味では著者と講談社の完勝。名前も売れたし利益も出ただろ。一方、小説全体がライトノベル化してるなかで賞も読者のレベルに合わせなきゃいけないのは現実なんだろう。それによって失う読者もいるだろうが、文盲化の進む中ではそれこそ少数派なわけだ。読ませようという工夫にはそれなりに頭が下がるが、中身も装丁もペラペラと際限なく薄っぺたくなっていく傾向は、個人的にはますます買う気が失せるな。今じゃ、四六判の単行本ですら二段組みは極稀だし、行間に至っては詩集か? と思わんばかりのお間抜けさ。それで厚さを売りにするなよ。フォントがでかいのも読書層の高齢化という問題があるんだろうが、小学校低学年の教科書を思い出させる巨大なフォントを使った文庫本には驚いた。「さいたさいた」「さくらがさいた」って書いてあるのかと思ったわい。ここまで来るとほとんど生理的な嫌悪感を感じますな。かつて新聞が字体を大きくして結果的に情報量を落とした(増ページはしなかったな、どこも)時、網羅、羅列的な現象列挙要素が薄れて情報の単なる恣意的なフィルタ(+増幅装置)に質的に転換したように、出版物にも転換の波が迫っているのかもしれない。

さて、字も比較的でかいし、行間も開いてるし、なんといっても会話が多いんで2時間ちょいもあれば落ちを予想しながらもあっさり読めてしまいますが、内容? アホバカであることには特に抵抗はないんだけれど、いかんせん全然笑えない。本質的に「笑う」ってことを誤解してないか? TVのお笑い的なあまりにも皮相的過ぎるネタじゃ正直ちっとも面白くないです。書いてる本人があらかじめ、本物のとんかつを2枚買った方が良いと逃げを打ってますが、どこがどのように面白くて笑えるのか、是非とも誰か教えてくださいな。

「久生十蘭集」 久生十蘭著

日下三蔵編 ちくま文庫 ISBN4-480-03643-1

そんなわけでどうも最近の新しめのものにはすっかり食傷で、引っ張り出して来たのが久生十蘭(1902~1957)。これは最近出た選集ものですが。たまに家宅捜索するとなかなか面白そうなものもズロズロ出てくるのだが、いかんせん仮名使いが違うとか、漢字が旧字体でやたら読むのに骨が折れてしまうのだよ。紙質も悪いしフォントも極小だし、同じ国の本とは思えない。で、久生十蘭(Hisao Jyuuran)、全部読んでるわけではないし、入手もそれなりに難しいようですが、結構感銘を受けてしまいましたな。話の筋がさ、こう予想も出来ない方に転がっていく奇想と、緻密で美しい文章表現が特徴ですかな。不思議と時代を感じさせない感覚が見事な虚構を創り上げています。

「海豹島」は樺太庁の役人が遭遇した事件を20年後に回想する話。海豹島って実在しました。敷香の東150kmほどに位置する孤島。現ロシア領チェレニー島で、日本だった頃には観光船も出てた(http://hp1.cyberstation.ne.jp/tt-musium/tairiku_05.html)そうです。オホーツク海で唯一のオットセイの繁殖地だそうですが、もちろんオットセイが3人目の主役であり、寂莫とした事件の原因でもあるわけだ。オットセイというよりもここはやはり膃肭獣と書くべきか…。

技巧的だが妙に憂愁の色を湛える「ハムレット」、モーリス・ルブランの書く南フランスを彷彿とさせる「月光と硫酸」、「湖畔」や「墓地展望亭」の非常に視覚的で美しい(けど残酷な)描写に、前向きなのか後ろ向きなのか良くわからない人間の意志と情念が絡み合って、独特な物語世界が構築されているんだな。上質なエンターテイナ。

「孤島の鬼」 江戸川乱歩著

講談社江戸川乱歩全集3 (昭和44年刊)ISBN無し

毒気に当てられて胸が悪くなるような強烈な色彩感がえぐい。昭和4~5年頃に雑誌連載で発表されたものみたいですが、社会のタブーの移り変わりが良くわかるな。当時は検閲だってあったろうに、今じゃ絶対書けないことのオンパレード。今となっては科学的でない表現も結構あるのだが、読めてしまうということは人間やっぱり教育?だけで変わるものじゃないってことなわけだ。所謂乱歩の本格ものと通俗ものの過渡期にある長編作品ですが、この頃はこの手の人間の本質的な「恐いもの見たさ」というか「異種恐怖」を逆手に取ったもの(で且つ優れてぞっとするもの)が多いですな。ほんの少しだけ救いのある終わり方にも「ほっ」っとして良いな、と思わせるくらい陰惨な話です。もっとも、どこにも挿絵があるわけじゃないんだが、この島の明るくて荒んだ光景がデジャ・ビュのようにちらついて困るな。どこで見たんだろう、ジュブナイルか???


2002/03 作成